衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年03月08日    木曜日     第3 回の開示 合計171回の開示

一切の法は仏法なり、一切の事は仏事なり

全ての鋭い剣は、自らの心より放たれ、他処に至らず。故に、人を傷つけることは自らを傷つけることであり、人を利することは自らを利することである!

衆生は皆、一真法界において矢を放ち、また射かけられ、一真法界を射ている。しかし一真法界は傷つきも損なわれもしない。この理を明らかにしないことが、即ち無明である。無明が深重であれば、必ず生死に沈淪し、解脱を得ることはない。

一真法界は大きな網の如く、万法、億万の法、億億の法、無量無辺の法をその中に絡み取る。如来蔵は動かない道場であり、あらゆる処に至り、あらゆる法を摂取する。一つの法もその外に出るものはない。意根はこれに随い、遍く一切の処に至り、遍く一切の法に縁する。来たり行くことも動くことも要しない。六識は意根に随い、来たり行くこともなく、全て如来蔵の中で識別し、分別し、造作する。道場を離れることなく、仏事を行うのである。

仏の道場においては、何を行っても全て仏事となる。たとえ魔王波旬が仏法を破壊するも、それも仏事であり、魔事はない。なぜなら一切の法は仏法であり、如来蔵であるからだ。如来蔵を超えるものはなく、一真法界を超えるものはない。故に、魔は魔事を行わず、魔事は即ち仏事であり、二つも別れもない。もし人が魔と仏を分別する者がいれば、それは無明である。無明を除かねば、成仏することはできない。

——生如法師の開示
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意根定まらず、道理なし

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