色身には自己修復の機能が備わっており、身体が破損すると自動的に修復され、内臓器官が損傷すると自動的に修復され、身体が疲労困憊すると休息期間を経て精力が回復し、手術を受けた傷口は自動的に修復され、欠損した筋肉や皮膚などは自動的に補完されます。血液が流失しても再び生成され、胃腸に飲食がなくても身体は自動的にエネルギーを補充でき、辟穀による色身の調理はこの神秘的なメカニズムを利用しています。これらはいずれもどのような仕組みなのか?誰の機能作用なのか?この神秘的な生命の源はいつから現れたのか?
窺基大師の前世は数千年も禅定に入り釈迦仏の出世を待ちましたが、定中でそれを逃してしまい、さらに弥勒仏の出世を待つため再び禅定に入ろうとしました。四大(地水火風)の飲食によって生命を維持する人体が、数千年、数万年もの間、定中で飲食せずとも少しも不快感がなく、さらに千万年も禅定に入って死なないのは、窺基大師や他の禅定による長生者たちはいったいどのような仕組みに依って生命を維持しているのか?ある実験によると、痩せた人は太った人より長寿であり、食事量の少ない人は大食いの人より長寿だと言われていますが、これはいかなる原理によるものか?
現代医学の養生学では、深夜の子の刻(午後11時から午前1時)の間に必ず睡眠を取らなければならないとされ、さもなければ夜更かしにより内臓が休養できず身体が消耗するとされます。しかし、深夜に座禅して禅定に入る分には問題ありません。釈尊が当時、弟子たちに精進修行を勧め、初夜・中夜・後夜を通じて休みなく修行に励むよう指導されましたが、比丘たちに身体的な不調があったという話は聞かず、むしろ精力はより旺盛になり、思考はより鋭敏になりました。現代医学はまた、朝食を抜くと胆石になりやすいと言いますが、仏在世の時代、出家者は皆、日中一食(一日一食)でありながら、誰が胆石になったという話は聞かれません。これらはいずれも、どのような仕組みの作用によるものか?
日光を浴びると身体は自動的に陽気とエネルギーを補充し、もし一心に観想できれば、補充される量はより多くなり、身体の調子はさらに良くなります。無色界天の天人には身体がなく、四大物質の滋養を必要としませんが、それ以外の身体を持つ衆生は全て四大物質の滋養を必要とします。境界が高い衆生ほど、必要な四大物質は少なくなり、物質はより微細で精妙になります。境界の低い衆生は福徳が薄いため、非常に粗悪で劣った四大物質を受用せざるを得ません。人間は欲界の中層に位置し、欲界の高等生命とは言えず、受用する四大物質は比較的粗悪であるにもかかわらず、自分たちが受用しているものは全て高等物質であり、食べているものは高級な飲食であると思い込んでいますが、実は非常に粗雑です。色界天人が受用するものが最高級で最も精妙な四大物質であり、次いで欲界天人、その次が神仙です。全ての人間は天人の受用には及びません。飲食は粗雑であるだけでなく、非常に不浄であり、色・香・味も良くありません。業縁がそうであるため、何も悪いとは感じず、むしろ非常に貪愛しているのです。それは丁度、犬が糞を好み、虫が便所を好むようなものです。
全ての色身の修復メカニズムが受用する一切の四大物質は、如来蔵の機能作用によるものであり、如来蔵が衆生の業種と福徳に基づいて造り出したものです。衆生が欲界の人間界と縁があり、人や畜生となる業種と業縁を持つため、五陰身が欲界で正常に生存しようとするならば、色身は相当量の四大物質の養分を具足していなければなりません。もし色身上の四大物質に欠損があれば、正常な五陰身の運行に影響を及ぼすため、如来蔵は業種・業縁に基づいて、自動的に欠損した四大物質を補充します。もし業障が補充を許さない場合、五陰身は不完全な色身のままで不完全な運行を続けます。これが衆生の悪業因縁を示すことになります。善業が具足した衆生は、色身に何が欠けていようとも、如来蔵が自動的に補充します。もし補充できない場合は、色身が欠損不全であるという悪業の果報なのです。
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