衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年06月28日    月曜日     第1 回の開示 合計3463回の開示

色身の自己修復原理は何か

色身には自己修復機能が備わっており、身体が損傷すると自動的に修復され、内臓器官が損なわれれば自動的に修復され、身体が疲労困憊すれば休息後に精力が回復し、手術を受ければ傷口が自然に治癒し、失われた筋肉や皮膚などは自動的に補填される。血液が失われても再生成が可能であり、胃腸に飲食がなくとも身体は自動的にエネルギーを補充する。辟穀による色身調整はこの不可思議な仕組みを活用したものである。これらはいかなる機構なのか。誰の機能による作用なのか。この神秘的な生命の源はいつから現れたのか。

窺基大師の前世は数千年も禅定に入り釈迦仏の出世を待ったが、定中でそれを逃し、さらに弥勒仏の出世を待とうと再び禅定に入ろうとした。四大要素と飲食で生命を維持する人体が、数千年・数万年もの間、定中で飲食せずとも少しも不調を来たさず、さらに千万年も禅定して死なないとは、窺基大師や他の長寿禅定者はいったいどのような仕組みで生命を維持していたのか。ある実験によると、痩せた人は肥満者より長寿であり、少食の者は大食いの人より長寿だという。これはいかなる原理によるものか。

現代医学の養生学では、深夜の子の刻(23時~1時)は必ず睡眠をとるべきであり、さもなければ内臓が休養できず身体が消耗するとされる。しかし深夜に坐禅入定しても問題はなく、仏陀が弟子たちに精進修行を勧め、初夜・中夜・後夜を通じて休まず修行させても、比丘たちに身体的不調の話は聞かず、むしろ精力はますます旺盛になり、思考はより鋭敏になった。現代医学はまた「朝食を抜くと胆石症になりやすい」とするが、仏在世の出家者は皆、日中一食であったにもかかわらず、誰が胆石症になったという話は聞かない。これらはいかなる仕組みの作用なのか。

日光浴をすれば身体は自動的に陽気とエネルギーを補充し、一心に観想できれば補充量は増え、身体の調子はさらに良くなる。色界の天人には身体がなく四大物質の滋養を必要としないが、それ以外の身体を持つ衆生は皆、四大物質の滋養を必要とする。境界が高い衆生ほど必要な四大物質は少なく、物質は微細である。境界の低い衆生は福徳が薄いため、非常に粗悪な四大物質を受用せざるを得ない。人間は欲界の中層に位置し、欲界の高等生命とは言えず、受用する四大物質は全て粗悪であるにもかかわらず、自分たちが享受しているのは高等物質であり、食べているのは高級な飲食だと思い込んでいるが、実は非常に粗雑である。色界天人が受用するものこそ最高級で最も微細な四大物質であり、次いで欲界天人、その次が神仙である。全ての人間は天人の受用には及ばず、飲食は粗雑なだけでなく非常に不浄で、色・香・味も良くない。業縁がそうであるため、かえってこれを貪愛し、まるで犬が糞を好み、虫が便所を好むようなものである。

あらゆる色身の修復機構が受用する全ての四大物質は、如来蔵の機能作用であり、如来蔵が衆生の業種と福徳に基づいて造り出したものである。衆生が欲界人間と縁を持ち、人や畜生となる業種と業縁があるため、五陰身が欲界で正常に生存しようとすれば、色身は相応の四大物質的養分を具足せねばならない。もし色身上の四大物質に欠損があれば正常な五陰身の運行に影響し、如来蔵は業種・業縁に基づいて自動的に欠けた四大物質を補充する。もし業障が補充を許さなければ、五陰身は不完全な色身のまま不完全な運行を続け、これが衆生の悪業因縁を顕わにする。善業を具足した衆生は、色身に何が欠けていようと如来蔵が自動的に補充するが、補充できない場合は、色身が不完全なままであるという悪業の果報である。

——生如法師の開示
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