歩行時には、身識と意識を色身の動作に置き、注意力を色身および周囲の環境に向ける必要があります。独頭意識が法義を思惟する注意力は減少し、精力が足りず専一になれません。思惟は深く細やかではなく、智慧は生じにくくなります。一方、坐臥の状態では、識心の分散が少なく、独頭意識の注意力がより集中するため、思惟は深く細密となり、智慧が生じやすくなります。
したがって、坐臥という静中の定において、より智慧が生じやすいと言えます。坐臥中は心理的な負担が少なく、精力を集中して細密に思惟することができ、歩行中に遭遇するかもしれない状況を心配する必要がありません。心が安らぎ、静坐によって未到地定や初禅定がより容易に生起します。
「定によって慧が生ず」という場合の定とは、未到地定と初禅定を指します。よって証果や開悟には、最低限未到地定を具足していることが必要です。無念ではない未到地定や初禅定であれば、定が深まるほど思惟はより細密となり、智慧が開けて新たな境地を発見することは確実です。
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