世間と出世間の一切法は全て第八識によって顕現され保持されるものであり、一切の法には第八識の参与がある。第八識は一切の法に遍く存在し、一切の蘊処界に遍満し、あらゆる時処に遍在する。世間と出世間で最も多忙なのは当然第八識である。しかしそれは決して忙しいと感じることはない。無為性・プログラム化された・法爾自然の運営方式によって、一切の法に対し捨心を具え、苦も楽も感じず、一切の法に対し感覚も受容もなく、完全に無心であるため、全く疲労を覚えないからである。
世間法において次に多忙なのは第七識である。第七識は第八識に依って第八識が顕現した一切の法を縁とし、一切の法を黙って容受する。従って一切の法には第七識の運営がある。第七識は一切の法に対し遍計所執性を起こし、普遍的に計度して一切の法を執着するが、第七識もまた捨受であり、決して忙しさや疲労を感じない。もし感じれば休息を選ぶはずである。それが休息する時、第八識は運営できず、万法は停止するが、このような事態は一度も発生していない。阿羅漢や辟支仏の第七識は例外で、彼らの第七識はすでに三界世間法に倦厭し、もはや世間法を顧みず貪執しないため、入滅を選択し五陰が消滅し万法が停止する。故に第七識は睡眠時・死亡時・昏迷時・入定時にも常に活動しており、第七識と第六識を比較すれば依然として第七識が最も多忙である。
第七識が世間法において非常に多忙で決して休息しないとはいえ、第八識が関与する業務の多くには第七識は参与できない。例えば第八識が三界世間法を顕現し宇宙器世間を現出する際、第七識は推進作用を及ぼすのみで、具体的に四大種子を如何に輸送し身根器界を如何に現出するかについては、第七識は知らず理解せず参与もできない。第八識が業種を了別し業種を輸送する際にも第七識は参与できない。第八識が七大種子を輸送する際も第七識は覚知せず参与できない。故に第八識が最も多忙であるが、ただ疲れず感覚もなく、何ら代償を払わず、自らがどれほどの貢献をしたかも知らない。実際第七識も決して忙しさを知らず疲労も感じない。もし感じれば諸法への執着を減らして休息・滅去を選ぶはずである。しかし第七識は六識の疲労と身体の疲労を知覚し、身体と六識を自己と見做すが故に、身体と六識を休息させる決定をするのである。
次に多忙なのは意識であるが、第六識は断滅する時が多く、多くの法の運行に第六識は関与しない。第六識は六塵中の法塵上でのみ活動し、独頭意識は法塵独影境を独りで処理するだけでなく、五俱意識は五識と共に活動し、更に第七識への情報伝達・補佐・参謀役を務める。軍隊において参謀が情報収集・軍情分析・敵我情勢把握に忙殺され、最終的に全ての収集分析情報を司令官に提出し、司令官が戦闘の可否・方法を決定するようなものである。参謀は意識に相当し、意根は司令官に相当する。当然司令官もこの過程で指揮業務に忙しいが、その忙しさの形態が異なる。具体的な情報収集は五識が担当し、それらは勤務員・衛兵のような存在で、警戒監視・偵察活動を担い、第六識は分析総合を担当し司令官に適切な提言を行う。六識の業務は具体的であるため苦楽や疲労を感じ、時折休息を必要とする。しかし第八識は永遠に休息せず、いかなる状況に遭遇しようとも、たとえ第七識が三界世間を放棄する選択をしても、第八識はそれに従って滅することはない。
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