問:お師匠様、仏国浄土あるいは極楽世界における生活や仕事の様式についてご紹介いただけますでしょうか。
答:極楽世界のような浄土に、もしもなお日常生活や仕事が存在するならば、それは娑婆世界と同じく在家の者の世間の国土であり、もはや浄土とは言えません。衆生には必ず貪瞋痴の煩悩が生じ、必然的に出家者と在家者の二大部分に分かれ、娑婆世界と何ら変わるところがなくなってしまいます。
なぜなら、清浄な仏国土においては、あらゆるものが変化によって存在し、労働する必要も、生活や仕事をする必要もありません。そうしてこそ人心は清浄無垢となり、私欲もなく、男女の区別もなく、家庭もなく、比類ない清浄さを得るのです。したがって、出家と在家の区別もなく、すべての者が修行者となります。娑婆世界のように男女の区別があり、家庭の煩わしさがあり、仕事や生活が必要だからこそ、出家と在家の区別が生じるのです。そのため仏は、娑婆世界においては出家僧を主体とし、大衆を導いて仏法を修行させ、仏教は出家僧によって弘められるように定められました。仏が涅槃に入られる際、在家の菩薩が仏法蔵を継承し、仏に代わって法を弘めたいと申し出ましたが、仏はこれを許されず、出家僧団に仏に代わって法を弘め、仏法の三蔵十二部を護持するよう命じられたのです。
清浄な仏国土、および天界においては、衆生に男女の区別がなく、家庭も存在しません。したがって、すべての者が出家の修行者であり、改めて出家する必要はないのです。家がないのに、どうして出家があると言えましょうか。
浄土の衆生およびあらゆる大菩薩、等覚菩薩に至るまで、家を持つ者はおらず、現れる姿にも男女の区別がありません。したがって彼らは出家する必要がなく、出家の相を現す必要もなく、すべてが出家僧であり、しかも菩薩僧なのです。そのため彼らは、頭を剃る必要もなく、僧衣を着る必要もなく、出家戒を受けて守る必要もありません。
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