第八識もまた識であり、それ自体に識の体性を具え、知性を有している。ただし六塵を知覚せず、業種を知り、七識心の心行を認識する。七識心とは異なる多くの知覚作用を有し、悟りを得た後にこれらの内容を徐々に明らかにできる。第八識には無為の部分と有為の部分が存在する。有為の部分とは業種を収蔵し、業種を出力し、五陰の活動に呼応し、七識の種子を輸送し、万法を生起させる作用を指す。これらは全て第八識が本来具える有為性の機能である。
種子は第八識によって識別される対象であり、第八識が処理・出力する対象である。種子自体に了知性はなく、識でない故に知性を有さない。第八識の心体は了知性を具え、心所法に依って分別作用を起こす。七つの識の作用も、七識の心所法に依存して初めて機能を発揮する。ただし第八識が七識に識種子を輸送することを前提として、七識は心所法の形式で運行し、六塵万法を分別・了知することが可能となる。
第八識自体も固有の識種流注を有し、阿羅漢の無余涅槃においても第八識自身に識種流注が存在する。諸仏が三大劫にわたり修行するとは、七転識の妄心を修め、妄心の無明を消除することを指す。一法でも理解せざるものがあれば無明であり、無明を滅尽した後は世間・出世間にわたり理解せざる一法もなく、全てを了知し一切種智を具足する。諸法が依拠するものこそ第八識である故、第八識を証悟し、その内容を完全に了知すれば、七識の無明は断尽され、仏道を成就する。よって八識の理を学ぶことは正しい修行であり、極めて重要なのである。
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