問:本日およそ四十分ほど坐った頃、脚から腰にかけて断続的な震えや揺れが生じ、坐を解くまで続きました。震えの過程で若干の快感もあり、これまでにない現象ですが、これはいかなるものでしょうか。
答:これは心が静まった後、体内の気脈の巡りが順調となり、気機が発動した現象です。気機は通常丹田から発生し、丹田から全身へ巡ります。その速度と経路は人により、時により、体調により異なります。欲界定や色界初禅定の誘発は、いずれも身体の気機発動なくして成立せず、すなわち禅定は色身の活動と切り離せません。色身に障害がなくなって初めて、欲界定や色界定が発起するのです。
将来色界の初禅定が発起する際も同様に、体内の気脈が自然に巡行します。その力は人為的な意念によるものではなく、身心が一定の静寂に至って自然に生じるものです。煩悩や妄念が生じた時にのみ障害が現れ、体内の気機が退転すれば初禅も消滅します。故に初禅定は結跏趺坐を離れられず、その発起も坐禅中が主です。動作中の禅定持続時間は短く、維持も困難です。
禅定が身体を離れられない以上、結跏趺坐は不可欠です。結跏趺坐は禅定の基礎であり、その後の深い禅定も結跏趺坐なくして成り立ちません。結跏趺坐は気血を集中・順調に巡らせ身心を安定させ、速やかで堅固な得定を可能とします。坐中の禅定を基盤として初めて、色身の動作中にも禅定が生起・持続するのです。結跏趺坐せず動作のみで修定する場合、第一に禅定が生じ難く、第二に生じても維持困難、第三に深い禅定は得られず、第四に観行が困難です。「修道は腿に非ず」との説がありますが、これは誤りです。腿を調えられなければ身体は調わず、身体が調わなければ心は真に永続的な静寂を得られず、禅定は容易に現れず持続も深化もできません。歴代の祖師や禅定修行者の実践がこれを証明し、諸仏・菩薩や阿羅漢・辟支仏の修行過程もまたこれを証明しているのです。
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