一切の法は識であり、全体は即ち真如である。これ以外に何もない。一本の草でさえ識である。ましてや他のものはなおさらである。風は自ら吹くことはできず、木は自ら揺れることはできず、万物は自ら生じては滅し、滅しては生じることはできない。
第八識は不生不滅である。生滅するのはあらゆる事象であり、生滅するのは第八識が作用として現出させた法である。第八識の本体は不生不滅であり、第八識の作用は生滅を繰り返す。三界の世間法はすべてその作用である。これらの作用はすべて七大種子の作用であり、七大種子の全体が即ち第八識である。一切の法もまた全体が第八識である。一切の法はあたかも金の器のようなものであり、第八識は金そのものである。金の器を見れば、金そのものを見たはずである。
第八識は心所法を用いて作用を起こし、種子を用いて一切の法を生成する。第八識は識の種子を用いて識を生じさせ、心法を形成する。また色法があり、色法は五大種子によって生成される。さらに見大があり、それは第八識自体の見性である。こうして第八識の一切の機能作用は円満となる。
第八識自体もまた識の種子を持ち、刹那刹那に流注し、第八識自体の了別性を形成する。この流注は仏地を除いて永遠に止むことはない。したがって第八識は永遠に不滅である。七識の種子の流注には止む時がある。したがって七識は滅することができ、生滅するものである。第八識は決して生滅したことがない。
万法とは色法と心法である。心法には第八識とその心所法、七識と七識の心所法が含まれる。心法には有為法と無為法が含まれる。全世界はこのようであり、全体が第八識であり、全体が即ち真如である。仏法全体の要綱はこれであり、詳細はさしあたり述べない。
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