もしも物を転じることができれば、それは如来と同じであるという意味には、二つの側面がある。一つの意味は、如来のみが完全に物を転じて物に転じられることのない境地に達しているということである。なぜなら如来は仏の境地に修め、一切の無明を断ち切り、すべての功徳が円満に具わっているため、一念の間に無量無辺の五蘊の色身を顕現させることができ、また一念の間に無数の三千大千世界を顕現させることができる。あらゆる物質的な色法は如来に従って転変するのである。
もう一つの意味は、如来蔵のみが物質的な色法を転変させ、物質的な色法に転じられることのない存在であるということである。なぜなら如来蔵は三つの能変識の中で最も強大なものであり、一切の物質的色法の種子を蔵し、意のままに意根の求めに応じて四大種子を出力し、あらゆる物質的色法を顕現・転変させることができる。七識の妄心には種子がなく、物質的色法を出生・転変させることはできないが、如来蔵を動員して物質的色法を顕現・転変させることはできる。したがって如来蔵は一切の物質的色法の主人であり、あらゆる物質的色法は如来蔵に帰属するのである。
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