仏道を修行する者は、自らの心を常に省みるべきである。日々内観を重ね、不如法な点を見出したならば、直ちに心を正し、正道へと導き、貪瞋痴の煩悩から遠ざかり、無明を離れなければならない。
常に思惟すべきである。己の道業こそが最も重要か、それとも不如理な覚観が大切か、あるいは世俗法における貪瞋痴の業行が肝要か。世俗法における所謂利益が、果たして永続するものか、真実存在するものか、消滅しないものか、真に何らかの利益をもたらすものかを、絶えず考察しなければならない。修行者は常に自問自答すべきである。自問を重ねてこそ覚醒し、定力を得、智慧が生じ、世俗法からの解脱が可能となるのである。
無量劫にわたって営まれてきた世俗法において、人々はいったい何を得たというのか。無量劫の貪愛がもたらしたものは、生死の苦しみ以外に何があるのか。智慧ある者こそ、常に反省を重ね、生死の本質を見極め、生死惑業への執着を断ち切り、生死苦輪から脱する力を養うべきである。
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