衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年05月20日    日曜日     第4開示 合計520開示

前五識に念心所はあるか

<h2 style="text-indent: 2em;">問:記憶は如来蔵(tathāgatagarbha)が貯蔵した法塵の種子であり、前五塵の相分(nimitta)は貯蔵できないのですか。思い出された塵相は意識のみと相応し得るのであり、前五識には念心所がなく、思い出された塵相を了別することはできないのでしょうか?</h2>

答:一切の法はすべて種子として貯蔵することができます。身口意の一切の行為造作、経験した一切の人・事・物・物理、すなわち六塵の境界は、すべて種子として如来蔵によって収められます。その後、意根が攀縁して了別しようと考えれば、如来蔵は意根の思心所に随順して、種子を送り出して法塵とし、独影境とします。意根が縁した後、さらに細かく了別しようとすれば、如来蔵は独頭意識(mano-vijñāna-eka-citta)を生じて一つ一つ了別します。これがいわゆる回想(記憶の呼び起こし)です。だから回想には細部があり、思い出された境界は法塵に属し、五識は了別できません。前五塵の相分もまた種子として、一種の情報として如来蔵の中に存在しており、種子と情報は形もなく相もなく、五塵境には属しません。因縁が具足したとき、如来蔵は種子に基づいて五塵境を出力し、さらに意根の思心所に依って、如来蔵は六識を生じて了別します。しかし、これはもはや回想ではありません。五識にも五別境心所法があります。すなわち欲・勝解 (adhimokṣa)・念・定(じょう)・慧であり、だから五識には念心所があるのです。

——生如法師の開示
前へ前へ

供養の含義

次へ 次へ

勝義根 (indriya) と内相分 (nimitta) の変現

ページトップへ戻る