問:眼の勝義根は四大で構成され、これも実法であり、如来蔵は自ら縁ずることができる。内色塵は鏡像の如く仮法であるが、如来蔵はこれも縁ずることができるか。もし如来蔵が内色塵を縁じないならば、どのようにして根塵の接触する処で眼識を生じ、眼識の種子を根塵接触の処に輸送するのか。
答:法法ことごとく真如なり。一つの法も真如の変じたものでなく、真如の縁ずるものでなく、真如の執持するものでないものはない。その実質は全て真如である。故に内色塵、内六塵もまた如来蔵の出生し変現する所であり、実質も如来蔵である。如来蔵もまた縁じ、かつ自ら縁じ、独りで縁ずる。外六塵は全て有縁の衆生の如来蔵が共同して出生し、共同して縁ずる。故に単独の如来蔵が外六塵を縁ずる場合と内六塵を縁ずる場合、その方式には区別がある。
外六塵は、全ての如来蔵が四大種子を輸出した後、四大を形成し、全ての如来蔵が共同してこの四大を用い共同で変現し執持する。その生住異滅の変化は極めて緩やかである。例えば娑婆世界の生住異滅は一大劫を要し、他の仏国土では更に長い時劫を要する。衆生の用いる各種色法の生住異滅の時間は数日・数年・数十年・数百年と様々である。
衆生の如来蔵が単独で執持する色法は、その生住異滅の周期が相対的に短い。中でも色身の生住異滅の時間は数分から数年・数十年・数百年・数千年と様々である。勝義根の中の内六塵は、六根の接触する境界が絶えず転換するに従い、如来蔵が勝義根に伝達する内六塵も絶えず転換を要するため、その生滅の時間は相対的に更に短い。これは如来蔵が絶えず六塵境界を切り替え、内六塵の生住異滅を継続させていることを示す。ここから、如来蔵が単独で変現する法は、受ける制約と制限が比較的少ないため、出生と変異が柔軟であり、生滅と変化が迅速であることが分かる。
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