問:人が目にする山河大地は、すべて自分が参与して共同で顕現した一分の山河大地である。人が目にする動物、昆虫、そして私たちの親族は、相手の流注する四大種子が私たちの如来蔵の四大種子と触れ合い、生じた影像を見ているのか。また私たちが見る花草樹木も同じようなものなのか。
答:有情衆生の色身も四大で構成された物質色法であり、この物質色法も彼ら自身の如来蔵が単独で顕現したもので、他の衆生とは関係なく、他の衆生の如来蔵は参与しません。私たちがこれらの有情衆生を見る時、私たち自身の如来蔵が相手衆生の色身を鏡に像を映すように、私たち自身の勝義根において内相分を顕現します。衆生の色身は私たちにとって外相分であり、私たちとは何の関係もありません。私たちの如来蔵が有情衆生の色身を私たち自身の内相分に変え、内相分になった後に六識が生じ、六識がこの内相分を了別するので、私たちは相手の人、昆虫、各種動物、鬼神、天人などの有情衆生を見ることができるのです。
相手に如来蔵が存在し、八識が存在する、あるいは八識より少ない場合、すべて有情衆生であり、彼らの色身は彼ら自身の如来蔵が顕現したもので、私たちとは関係ありません。私たちが見るのは、私たちの如来蔵が相手の四大の影像を摂取し、私たち自身の内相分に変えたもので、この内相分だけが私たちと関係があり、私たちの如来蔵と関係があります。外相分の有情衆生は私たち自身の如来蔵とは関係がありません。
ちょうど私たち自身の身体が、私たち自身の如来蔵が単独で顕現したもので、他の衆生とも仏とも関係がないのと同じです。しかし他人が私たちの身体を見る時、それは彼の如来蔵が私たちの身体を内相分に変えたので、見えるのです。これは山河大地を見る関係とは完全に同じではなく、外の山河大地は私たちの依報環境であり、この依報環境には私たちが参与して顕現した部分があります。私たちの如来蔵が摂取するのも、自分が参与して顕現した分外色塵を摂取し、それを内相分に変えるので、私たちが攀縁を得て、識別でき、見ることができるのです。私たちが見る花草樹木もすべてこのようなものです。
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