真の正信には現量観察の智慧が必要であり、そうでなければ信仰は偏信や盲信に流れがちです。たとえ仏典であっても、真に智慧ある者は疑いを抱き、実際に検証する方法を考えるべきです。ましてや仏の説かれざる教えについてはなおさらです。
インターネット上では、六祖大師が仏の再来であり、その説法は仏の証量を備え、六祖は既に仏として成就したと主張する人々が少なくありません。彼らがどのような根拠で六祖をこのように断定しているのか、私には全く理解できません。ある人物を大学教授レベルと認定するには、その大学教授の水準を超えるか、少なくとも同等の見識が必要です。末法の衆生は既に仏道を成就したかの如く、仏の智慧をもって六祖が成仏し仏の証量を具えていると認証しています。薄い一冊の六祖壇経を、おそらく彼らの誰一人として理解できていないでしょう。そうでなければ、このような断定を下す者などいないはずです。
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