問:座禅中にただ呼吸を観察し、極力介入せずにいると、ふと気付くことがあります。この呼吸システムが自動機械のようで、わずかに無生命な肉塊のように感じられるのは、どのような現象でしょうか?
答:これは修道の進歩であり、修行初期の効果です。定中の観行が求める正是このような境地です。今後さらに多くの新たな発見が続き、このような量変が一定水準に達すると質的転換が生じます。質変とは、五陰身が全て自動機械のように虚偽の幻影であり、不随意で無常無我であることを次第に悟る過程を指します。最終的に我見を断つに至るのです。観行はあくまで純粋な観察、現量の直観に徹し、意識的な主張や思考を加えてはなりません。そうすれば徐々に、無始劫以来気付かなかった事実と真理を発見できるでしょう。真理を悟るには、ただ注意深く観察し、観じる法に専念することです。時を経て修行が深まれば自然に成就し、法に内在する真実が顕現します。
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