衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年06月03日    日曜日     第1 回の開示 合計587回の開示

如来蔵の四分とは何でしょうか

如来蔵の見分とは、衆生の根身器界に対する了別性であり、如来蔵は意根である末那識の作意と思という二つの心所法を了知し、了知した後に意根に配合して三界世間の万法を現起させる。したがって意根がなければ、如来蔵は一切の法を運転出生することができない。如来蔵の見分はまた衆生の根身器界と業種を了別する点にも現れており、如来蔵には極めて多くの見分があり、具体的な六塵境界以外はすべてその見分に属する。如来蔵の相分には、外六塵と内六塵、および衆生の五陰身、宇宙器世間、七識心が含まれる。

如来蔵の自証分とは、如来蔵が自らその了別対象を証知できることであり、つまり如来蔵の見分が意根と根身器界を了別した後、如来蔵には「知」が生じる。この知が自証分である。よって如来蔵には知が存在し、六塵に対しては無覚無知であるが、その他の法に対してはすべて知を有する。如来蔵の証自証分は、地上の菩薩の現観智慧によって観察するに、如来蔵が自らがすでに意根の心行を了知し、すでに根身器界を了別し、すでに業種を了別したことを証明できることを指す。つまり如来蔵は自らの運行状態を反観し、自らが何をしているかを反観することができる。これが如来蔵の証自証分である。

如来蔵は六塵に対してもなお覚知を有するが、ただその覚知の方式方法と内容が七識とは同一ではない。意識は如来蔵のそのような覚知性と内容を了知することができず、その実態を究竟することはできない。なぜなら根身器界もまた六塵に属するからである。

——生如法師の開示
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