衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年04月01日    木曜日     第1 回の開示 合計3254回の開示

唯識の三境から見る意根の作主性

問:帯質境、性境、独影境は全て本質境から伝導変化したものなのでしょうか?三境の顕現に順序はないべきでは?第七識が六識の縁じられない法を縁じられるのは、帯質境と本質境が比較的接近していることを示しているのでしょうか?しかし法塵には色声香味触塵の要素もあり、色塵の方が法塵より実在性が強いのでは?だとすれば性境は帯質より本質に近いのでしょうか?全ての境は本質の伝導変化によるものなら、全ての境は物質色法に属するのでしょうか? 

答:独影境は本質境から伝導されたものではなく、独影境は本質境の質を全く帯びていないと言えます。さもなければ真帯質境と仮帯質境と呼ばれることになります。五倶意識は帯質境に対応し、一般的に仮帯質境に属します。独影境は独頭意識が対応する部分で、質とは無関係に如来蔵が別に顕現させた境界相です。 

仮帯質境と独影境は同時に現れ得ます。五倶意識と独頭意識は同時に存在し、各々が対応する境界相を別々に認識します。この状態を「放心」あるいは「心ここにあらず」と表現でき、意識心が完全に仮帯質境に留まらず、独頭意識が分かれて独影境に対応することを指します。この分かれた独頭意識も意根の意思に基づいて生じ、意根が注意を分散しなければ意識も分散しません。例えば対面者の話を聞きながら、五倶意識で聴覚を処理しつつ、独頭意識で別の人物や場面を想起したり思考を巡らせたりする状態です。話を聞く行為は意根が決定し、別の思考は意根が指図します。意根が注意を分散させれば、意識も他の法を処理せざるを得ません。 

性境と帯質境の顕現には前後関係がありますが、その順序を観察し得る者はほとんどおらず、禅定力なき者には全てが同時に現れたように感じられます。独影境は時空を問わず現れ、性境・帯質境の前後あるいは同時に生じ得ます。独影境は通常妄想雑念の境であり、衆生の心は常に散乱し雑念が絶えず、独影境は絶え間なく生滅します。第七識は真帯質境に対応し、第六識は仮帯質境に対応します。仮は真より更に虚妄であるため、第七識の対応する真帯質境が本質境に近いと言えます。顕現の時間順から見れば、真帯質境が最初に現れ、勝義根に至るまで変化を重ねた後に仮帯質境が現れ意識の了別対象となります。この時点では既に真帯質境より数刹那遅れており、法は既に意根によって了別された後で意識が生起し了別します。このため時として意識が反応する間もなく処理が完了し、後から振り返って初めて事態を認識することもあります。 

色塵を含む五塵境は性境に属し、法塵を含む帯質境より粗雑で識別・感知しやすく、境界相が顕著です。法塵はより微細で識別が難しく、智慧不足では誤認しがちです。従って聡明さと智慧は法塵の了別・判断に現れます。一般的に聡明は意識の特性を指し、智慧は意根の特性を指します。聡明は表面的で機敏、智慧は深遠で重厚かつ秘匿的です。聡明は変化しやすく信頼性に欠け、智慧は堅固で永続的故に信頼できます。故に意識は信頼できず、意根が永続的に信頼に値します。 

本質境・性境・帯質境は全て四大要素を含み、物質色法に属します。本質境が最も真実で完全な法の情報(五塵・法塵を含む)を具え、性境は五塵情報のみを含みます。勝義根内の帯質境は法塵情報のみを、勝義根外の帯質境は五塵・法塵を含む完全情報を有します。従って意根が最初に了別するのは比較的完全な情報であり、独立した了別・決断が可能です。意識は勝義根内の法塵のみを了別でき、必ず五識と同時に了別します。五識が了別する五塵情報と五倶意識が了別する法塵情報が合わさり、意根に伝達されます。意根の了別対象は常に完全な法の情報です。

これは作主識の特性と権威性を体現しています。意根が一部の情報のみを了別するなら、如何にして正しく理に適い迅速に思量し、決断を下し指令を発することができるでしょうか。故に意根が仏法を証得できなければ、意識が証得するものは果たして何でしょうか?信頼できるのか?完全なのか?理に適っているのか?意義があるのか?意識は半盲人の如く法の一部しか見えず、五識の知覚と合わさって初めて完全な法となります。意識が如何にして主導権を握れるでしょうか。意識が五蘊を主導すれば大混乱を来たすのではないでしょうか?

——生如法師の開示
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