衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年03月30日    火曜日     第4開示 合計3249開示

父子合集経講話(一七八)

愚痴無明はどのようにして業行と業報を引き起こすのでしょうか。

仏は大王に仰せられました。まことに、まことに。愚痴なる異生は、聞くことが少なく智慧がなく、好ましい触れ合いにおいて愛楽を生じ、心に染着を起こします。このような業を造作します。身業三種、口業四種、意業三種。その業を造作し、刹那に遷謝します。その業が滅した後、東、南、西、北、四維、上下、中間に依らずに住みません。命終の時に至って、先に作ったことを見、心想の中に現れます。あたかも目覚めて、夢中の事を思い出すように。最後に識が滅し、自業が現前します。

仏は言われました:大王、確かにその通りです。愚かな異生凡夫たちは、聞くことが少なく智慧がなく、自分が喜ぶ触れる境に対して心に愛楽を生じ、心に貪り染着して欲触を貪り、愚痴の業を造作しました。身三、口四、意三の悪業が現れました。これらの業を造作した後、業行は刹那刹那に遷滅しました。業行が滅した後、東南西北四維上下に依らずに住みません。しかし、命終の時に至って、自分がかつて行った事が心の中に現れ出ました。あたかもこの人が睡眠から目覚めて、夢中の事を思い出すように、最後に六識が滅し、業報が現前しました。

愚痴とは無明であり、何も分からず、五蘊が何か分からず、五蘊の虚妄も分からず、万法の虚妄も分からず、この仮の私は組み合わせから来たものだとも分からず、どうやってそれを破るかも分からず、どうやって六道輪廻から離脱するかも分からず、どうやって菩薩の果位を証するかも分からず、どうやって自分の本来の面目である自性清浄心を証するかも分からず、はたまた如何に成仏するかも全く分からず、これを愚痴と無明と言います。

——生如法師の開示
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父子合集経講記(一七七)

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妄執と憶測は完全に信頼できない修行法である

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