衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年03月28日    日曜日     第3 回の開示 合計3240回の開示

父子合集経講話(一七三)

五蘊が夢の如く虚妄で実体のないものであることを、どう認識し理解すべきでしょうか。

これは色身と識心の二つの側面から認識し観行する必要があります。色身とは生滅変化を繰り返す木のような肉体であり、もし識心が色身において作用しなければ、色身は何の活動も機能も持ちません。色身に作用する前七識は絶えず生じては滅び、滅んでは生じ、生滅を繰り返す火の輪の如きものです。七識は真実ではなく、如来蔵が識心の種子を次々と送り出して初めて七識は作用します。如来蔵が種子を送らなければ七識は作用せず、五蘊の機能も失われ、五蘊身は単なる木塊となります。五蘊身という全体は色・受・想・行・識が組み合わさったもので真実ではなく、一つでも欠ければ不完全です。様々な因縁によって集まった生命体は虚妄の法であり、まさにこの瞬間から虚妄であって、わざわざ虚妄と考える必要はありません。

一瞬たりとも五蘊の活動において、もし阿頼耶識が識種子を送らなければ、五蘊活動は即座に停止し生命の兆候は失われ、色身はこのように虚妄なのです。五蘊身はあたかもロボットの如く阿頼耶識に制御されており、種子の倉庫から原材料が絶えず供給されなければ機械は停止します。意根という電源スイッチが作動しなければ原材料は色身に運ばれず、五蘊身は依然として機能しません。このような虚妄の色身には一片の真実性もなく、現象として存在しているのはただ人目を惑わし人心を迷わせるに過ぎません。これらの生滅する幻相を、凡夫も菩薩も惜しみつつも把捉できず、まさに夢中の幻境の如きものです。我相・人相・衆生相・寿者相という四相も同様に真実の相貌を持たず、夢中の物の如し。現実生活と夢境は同じく、真実の我という人も、あなたという人も、彼も、衆生も、寿命も存在せず、これら全ては虚妄の仮相です。心の内から真に認証し得れば、それが証果です。なぜ現実生活が夢境と同じと言えるのか、この理を証得するには十廻向位の菩薩果位に至る修行が必要です。

——生如法師の開示
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