仏法を学び修行するには福徳善根が必要であり、仏法に善根福徳を植え付けていない者は、自然と仏法において利益を得ることができない。三宝に帰依せず仏にも帰依しない者たちは、世俗的な弁舌や知恵に長けていようとも、智慧による解脱を得ることはない。故に世俗の者が如何に聡明であろうとも、依然として仏法上の智慧を具えておらず、仏法の徒とは言えない。仏法が救済できるのは、仏教に帰依し仏教を篤く信じ、三宝の中で善根福徳を培おうとする者に限られる。三宝に帰依する意思のない者は救い難く、仮に仏法を学びに来ても研究対象とし、仏法を慰み事として用いるだけで、証果や開悟によって仏法上の利益を求めることはできない。信根が無ければ五根も無く、五根が無ければ五力も無く、三十七道品を具足することも叶わない。よって観行を深め証果し明心するに至らず、仏法の徒となることは叶わないのである。
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