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日常法話

2018年07月13日    金曜日     第1開示 合計734開示

第六識・第七識の見分 (darśana-bhāga)、自証分 (svasaṃvitti) と証自証分 (svasaṃvedana)

意根には自証分 (svasaṃvitti) があり、法を了別することができ、心中に影像がある、これが自証分 (svasaṃvitti) です。意根は自分が何の法を知ったかを知ることができ、これが証自証分 (svasaṃvedana) です。意根にも自信満々の時があり、これが証自証分 (svasaṃvedana) です。意根が自説に固執するのは、証自証分 (svasaṃvedana) です。頑固者、徹底して頑固で、自分の観点や見方を変えようとせず、自分が正しいと思い込むこと、その中には証自証分 (svasaṃvedana) があるのです。さもなければ固執することも、頑固であることもないでしょう。眠って夢のない状態では、意根はなお法に触れて法を了別する必要があり、六塵を知ることができ、六塵を観察することができますが、意識は意根が一体何をしているのかを知りません。

証自証分 (svasaṃvedana) とは識心が自分自身を反観することです。二禅のじょう (samādhi) の中には意識があり、意識の見分 (darśana-bhāga)、自証分 (svasaṃvitti)、証自証分 (svasaṃvedana) はいずれも存在しますが、ただ非常に微細で、智慧が不足している時には、自分の見分 (darśana-bhāga)、相分 (nimitta)、自証分 (svasaṃvitti)、証自証分 (svasaṃvedana) の状況を了解することができません。禅定についての知識を多く学び、それから入定して体得すれば、より多く了解することができるようになります。

意根には見分 (darśana-bhāga)、相分 (nimitta)、自証分 (svasaṃvitti)、証自証分 (svasaṃvedana) がありますが、第六識・第七識が転識成智していない時には、これらの内容を区別することができず、観察して見出すことができません。地前菩薩にとっては、意根には証自証分 (svasaṃvedana) がないように見え、自分自身を反観することができませんが、地上の菩薩は意根に証自証分 (svasaṃvedana) があることを観察して見出すことができます。いくつかの深法については、仏は地前菩薩に対しては説かれません。菩薩たちが理解できずに誤解を生むのを恐れてのことです。

眠って夢のない状態は、意識が覚醒している時に参究する必要があり、意識には智慧がなければ、参究して見出すことができません。眠って夢のない時、意根には知があり、六塵の境界を知り、身根を知り、自分自身を知ります。神様は如来蔵 (tathāgatagarbha) の一切の法を見る功能に依拠して、自分自身の一切の法を見る功能を有しており、智慧がない時には、如来蔵が見た法を、自分が見た法と見なして、そこに執著と攀縁を生じ、一切の法はすべて自分のものであると思い、また我我我と思量 (manasikāra/manana) し、絶えず自我を維持し、自我を保護し、さらに様々な利害得失を斟酌することもできます。身体に様々な状況が生じた時、神様は目を覚まして対処する必要があるかどうかを斟酌し、判断を下し、決定を下すことができ、自分の観点や見方を持っています。その多くは経験に基づくものです。

意根の我は、非常に包括的で、五識を我と見なし、意識を我と見なし、第八識を我と見なし、また自分の功能を我と見なし、五根を我と見なし、六塵の境界を我の所有物と見なし、さらには六塵の外の法までも我の所有物と見なして、攀縁と執著 (upādāna) が絶えず、思量 (manasikāra/manana) も絶えません。

意識がいかなる法を思惟し参究する時にも、単独で働いているのではなく、必ず意根の配合する働きがあります。意識が意根を観察し、思考し、参究し、意根を探し求める時、意根もまた意識と共に意根自身を探し求めるので、意根もまた自分自身を参究することができ、最後には自分自身を観察することができるのです。

意識がついに意根の存在を証得し、意根の働きを観察して見出した時、意根もまた意識に随って自分の存在を証得することができ、意識に随って自分自身を了別することもできます。宇宙の器世間には意識がありませんが、科学者は宇宙のいくつかの事柄を解明することができます。地球の数千年、数万年の事柄も、科学者は探究して明らかにすることができます。未来世には現在の意識はありませんが、科学者は未来を予測することができます。如来蔵 (tathāgatagarbha) の働きの中には意識がありませんが、意識は如来蔵の深細な働きを観察することができます。それならば、意根の働きは、意識が当然観察し了知することができ、意識が転識成智すれば、何事でも成し遂げることができます。さもなければ、いかにして成仏するのでしょうか?

——生如法師の開示
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