意根が知ることはすなわち証得であり、意根が証得すれば如何に行動すべきかを知ります。まさに意根が知らないことが無明と呼ばれ、意根の無知を破ることを明と言います。意根が明らかになれば、明らかなことを行い、もはや曖昧なことは行わなくなるのです。
しかし意識が何を知っていても無意味です。なぜなら意根が知らないため、意根は意識の知に従って行動できず、これを「口では言うが実行できない」と言います。意識は喫煙が健康に害があると知っていても、意根は知らないため、吸い続けることを決めます。意識は悪業を造れば悪果を受けると知っていても、意根は知らないため、悪業を造り続けることを決めます。意識は如来蔵が存在すると知っていても、意根は知らないため、如来蔵を見つけようと決意し、昼夜を問わず寝食を忘れて探求するのです。
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