意根が用功し、参究し、思量 (manasikāra/manana) していることをどう知るのか。心の中に常に一つの話頭があり、一つの疑情・疑念が感じられるなら、それが意根が思考し参究しているということである。思想の注意力が常に話頭の上にあり、心の中に常に疑問があるなら、明らかな思惟・分析・考慮はないものの、それらの疑念や思いは振り払おうとしても振り払えないのであり、それこそが意根が参究しているということである。
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