無心定とは、定境に住し、念無く想い無く、為す事無く、白く思い無く、意識が観照を起こさず、思惟を起こさない状態を指します。ちょうど『楞厳経』において世尊が説かれた「内に守って悠閑な状態」のようなものです。これらは全て意識の閑暇な状態に過ぎません。ある人々はこの状態を念いの起こらない真如と誤解し、真如三昧を証得したと考えてしまいます。
実際、真如は元来一片の念想も有しません。禅定を修めるか否かに拘わらず、常にこのようなものであり、故に真如の状態は永遠に変化しません。一方、禅定中の意識が念いを起こさない状態は、修めることで得られるもので、先に無く後から有るものとなります。そうすると有ったものが再び無くなり、遅かれ早かれ消滅する生滅変異の法は、不生不滅の真如とは異なり、真如三昧の境界とは等しからざるものです。
5
+1