衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年02月24日    水曜日     第1開示 合計3127開示

瑜伽師地論第十巻(十二因縁)

(三十六)原文:问。几支灭是缘尽所显。答。即此三是。余支缘故。 

解釈:いくつの支が滅することが縁尽きによって顕示されるのか。答え:有、生、老死の三支が滅することは縁尽きによって顕示されるものであり、三界の縁が尽きれば、三界の有は再び現れることはなく、生もなくなり、老死もまたなくなります。この三支以外の残りの支分は、たとえ滅し尽くしても、三界との縁がまだ断ち切られておらず、縁がまだ存在しています。たとえば十二因縁法を観察することによって無明を滅し尽くしても、三界との縁がまだあり、意根には行がまだ存在しており、ただ無明を滅した明の行であるにすぎません。また六識も存在しており、ただ無明を滅した六識であり、造作するのは明の身口意行であって、染污されていないのです。 

また名色も存在しており、ただ無明のない名色であるにすぎません。六入も存在しており、ただ染污されていないだけです。触も存在しており、ただ無明を滅した明の触であるにすぎません。受も存在しており、ただ無明を滅した受であるにすぎません。愛も存在しているかもしれませんが、ただ無明を滅した愛であり、仏法を愛し大乗の修道を愛するだけのことです。取も存在しており、ただ無明を滅した取であり、大乗の仏法と善法を執取するだけのことです。三界の法も存在しており、ただ三界の法を貪着していないだけです。老死も存在しており、ただ余苦があるだけで、それほど多くの苦痛がないだけです。大乗の菩薩や辟支仏は後世にまだ生があり、現世にはまだ十二の明の支があり、十二の無明の支はなくなっているのです。 

原文:问。几支灭是受尽所显。答。一。谓由烦恼已断故。所依灭时。此一切受。皆永息灭故。 

解釈:問:いくつの支が滅することは受尽きによって顕示される支分なのか。答え:受の一支が滅することだけが受尽きによって顕示される法です。煩悩がすでに断じ尽くされているため、受が依止する法がすべて滅し尽くされるとき、この一切の受はすべて永遠に息滅するからです。

——生如法師の開示
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