衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年02月11日    木曜日     第3開示 合計3086開示

父子合集経講記(一一九)

<h2 style="text-indent: 2em;">死蘊と生蘊</h2>

原文:大王。识为其主。业为攀缘。二种相因。初识生起。或趣地狱。或堕傍生。琰摩罗界。及阿修罗。若人若天。初识生已。各受其报。同分心品。相续随转。最后识灭。名为死蕴。最初识起。名为生蕴。

解釈:仏が説かれるには、大王よ、阿頼耶識 (Ālayavijñāna) が後世に五陰 (pañca-skandha) の身を生じさせる主であり、業の種子が所縁であり、この二種の因と縁が和合することによって、次の世の最初の識が生じるのです。すると衆生は地獄に趣き、あるいは餓鬼道に堕し、あるいは畜生の三悪道に投生します。あるいは阿修羅道・人道・天道という三つの善道に投生します。最初の識心が生じて以後、衆生はそれぞれその業報を受け始め、そして同一の色身上の識心は絶え間なく連続して運行し続けます。命が終わって識心が滅するとき、色身は死屍となり、これを死蘊と名づけます。色身上に最初に生じた識心を初識と呼び、色身の五陰を生蘊と名づけるのです。

次の世の眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの識が生じるときは、私たちがこの世で眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの識によって業行を造作し、その種子が滅しない缘故によって、次の世の五陰が業の果報を受けなければならないことが決定されるのです。五陰の身に初識が生じて以後、この人は地獄に行くか、あるいは畜生道に行くか、あるいは阿修羅界に行くか、あるいはまた人として托生するか、あるいはまた天に昇るか、私たちが造った善悪の業に応じて六道の中を流転していくのです。

——生如法師の開示
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父子合集経講記(一二〇)

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