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日常開示

2021年01月25日    月曜日     第1 回の開示 合計3029回の開示

瑜伽師地論 第十巻(十二因縁)

(十二)原文:問。六処もまた飲食を縁とする。何故ここでは、ただ名色を縁と説くのか。答。ここで名色を説くのは、それが生因であるから。六処が生じた後も、飲食を任持因とする。問。触は三和を縁とする。何故ここでは、ただ六処を縁と説くのか。答。六処があれば、必ず他の二つ(六塵と六識)が欠けず存在する故。また六処が勝れた故。六処が二種を摂する故。 

釈:問:眼入処・耳入処・鼻入処・舌入処・身入処・意入処も飲食を縁として生じ、飲食によって名色が増長し、六入中の五入も増長するが、何故ここでは六入が名色を縁として生じると説くのか。答:ここで名色を説くのは、六入が生じる直接の因縁であるから。六入は名色の上に直接生じ、名色無くして六入は存在し得ない。胎中最初の名は意入処であり、受精卵の色の上に漸次に五入が生じる。故に名色は六入生起の縁である。六入が生じた後も、飲食を六入の任運的な運行の因縁とするが、飲食を六入生起の縁とは説かない。 

問:触は根・塵・識の三和合を縁として現れるが、何故ここでは触が六処を縁として生じると説くのか。答:六処があれば、必ず他の六塵と六識が現れ、欠けることがない。故に六処を代表とする。また三者の中で六処が六塵・六識より勝れ、三和合において決定作用をなす。六処が六塵・六識を摂受する故、触は六処を縁として現れると説く。 

原文:問。自らの逼迫、他者の逼迫、時節の変異、先業の引き寄せる所、皆が受を生じ得る。何故ここではただ触をその縁として顕すのか。答。触はその近因である故。触によって引き寄せられる故。他の縁によって生じた受も、触から生じる故。必ず触を離れない。故に偏って説く。

釈:問:自らに逼迫され、他者に逼迫され、時節の因縁が変異し、前世の業行が引き寄せる特殊な状況でも受覚が生じるのに、何故ここでは触を縁としてのみ受覚が生じると示すのか。答:触が受の最も近い因縁であるため。受は触によって引き起こされる故。他の縁によって生じた受覚も、触の因縁から生じる。受覚は触を離れて存在し得ない。故に触を受の縁として偏重して説く。 

原文:問。経典には無明を縁として愛が生じるとも説く。愛に順じる境界も縁となり得る。何故ここではただ受を縁と説くのか。答。受の力故。相似の境界に対し、和合を求め、あるいは乖離を求める。愚痴の力によって、諸受の生起・滅尽などの相を如実に知らず。これにより心を制御できず。

釈:問:経典では無明を縁として愛が生じると説き、貪愛を生じさせる六塵境界も愛の縁となり得るのに、何故ここでは受だけを愛生起の縁と説くのか。答:受の因縁力によって、真実に似た境界に対し、楽受として和合を求め、苦受として乖離を求める。愚痴の故に、これらの受の生滅相を如実に知覚できず、心を調伏できない。これにより愛が生じる故、受を愛の縁と説く。

——生如法師の開示
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