一路空じ行けば、涅槃の城に至る
色身における識はすべて空であり、造作した業行もまた空である。しかしながら、業行が空であるからといって、みだりに悪業を造作してよいと考えるべきではない。果報は確かに存在する。真に空を知り空を証得した者は、根本的に悪業を造作することはない。空なることを知りながら、なぜ空なる得られざる我のために悪業を造作しようか。全く造作する必要はない。空と知れば造作せざるなり。次の世に生じる識もまた空であり、滅空の法もまた空である。生死そのものが空であり、空ならざるものはない。一路空じ行けば、涅槃の城に至る。
業行の造作と流転には、造作する者もなく、報いを受ける者もない。我も虚妄、汝も虚妄、彼も虚妄、一切の法は虚妄にして人無し。身は仮の空、識心は仮の空、五蘊は仮の空。我無く、汝無く、彼無く、衆生無く、すなわち業行も無し。造作した業行、身口意の行もまた仮の空。この結びを解き明かせば、すなわち証果を得る。
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