衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年12月20日    日曜日     第3 回の開示 合計2926回の開示

父子和合経講話(七十)

耳処とは何か

原文:大王よ。いかにして耳処というか。これ四大種の造りし清浄色なり。その行相を分別するは前に説きたる如し。大王よ。諸法の解脱は決定して現前に在り。法界の空の如く、施設すべからず。

釈:仏は説きたまう:大王よ、耳処とは何か。耳処とは四大種によって創造された清浄なる色相であり、その相貌は眼処と同様、四大種の和合によって生じる。四大種が清浄であれば、耳処も清浄であり、そこには微塵の法も得られない。四大が空なるが故に、耳処の自性も空であり、四大が解脱しているが故に、耳処は本来解脱しており、人を繋縛する一法も存在しない。大王よ、諸法は本来解脱しており、その解脱の相は至る所に顕現している。真如法界の空が本来そうであるように、人為的に施設されたものではない。

耳処とは耳根を指し、外耳根と内耳根を含む。これらは全て清浄なる四大によって成り、故に本来清浄色であり、煩悩も染汚もない。ここで言う清浄とは喜怒哀楽がなく、貪愛・愛楽・厭悪が存在しないことを意味する。耳根が声塵と接触する時、この声を好むとかあの声を嫌うといったことは決してなく、心の働きが存在しない。善悪の心行も存在せず、染汚は心が染まるのであって耳根は染まらない。耳根を構成する地水火風の四大は空であり、耳処もまた空である。その自体の本性は得ることができない。地水火風の四大種の性質も得られず、耳処もまた得られない。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

七大の種子の作用

次の記事 次の記事

身体を我とする我とは誰か

ページのトップへ戻る