原文:いかなるものを十二種とす。求より如く求など生ずるより。痴を因縁として行あり。行より識あり。識より名字あり。名字より六入あり。六入より致あり。致より痛痒あり。痛痒より愛あり。愛より受あり。受より後有あり。有より生あり。生より老死憂悲苦あり。心に致すべからざる悩み。かくの如く苦種を具足す。習を致す為なり。
釈:いかなるものを十二因縁法というか。十二因縁法は世間法に対する一連の求取より生じる因縁法である。意根の無明を因縁として意根の行が生じ、意根の行を因縁として六識が生じ、六識の因縁より名色が生じ、名色の因縁より六入が生じ、六入の因縁より触が生じ、触の因縁より受が生じ、受の因縁より愛が生じ、愛の因縁より取が生じ、取の因縁より有が生じ、有の因縁より生が生じ、生の因縁より老病死憂悲苦悩、一切の心に適わぬ事が内面の苦悩を絶え間なく引き起こす。かくして生死の苦の業種が具足され、これら全ては触の習気によって造り出されたものである。
原文:痴尽きればすなわち行尽き、行尽きればすなわち識尽き、識尽きればすなわち名字尽き、名字尽きればすなわち六入尽き、六入尽きればすなわち致尽き、致尽きればすなわち痛痒尽き、痛痒尽きればすなわち愛尽き、愛尽きればすなわち受尽き、受尽きればすなわち有尽き、有尽きればすなわち生尽き、生尽きればすなわち老死尽き、老死尽きれば憂悲苦悩の心に適わぬものも尽きる。かくの如く苦種の具足するものも遂に尽きる。
釈:意根の無明が尽きると、行は尽きる。行が尽きると六識は尽き、六識が尽きると名色は滅尽し、名色が滅尽すると六入は滅尽し、六入が滅尽すると触は滅尽し、触が滅尽すると受は滅尽し、受が滅尽すると愛は滅尽し、愛が滅尽すると取は滅尽し、取が滅尽すると有は滅尽し、有が滅尽すると生は滅尽し、生が滅尽すると老病死憂悲苦悩は滅尽する。かくして衆生の具足する生死の苦の種子は滅尽するのである。
原文:かの無明とは四諦の存在を知らざることを名づく。解せず見ず、相応せず受け入れず、解脱の根元を解せざるを以て、これを無明と名づく。かの無明の因縁となる行はいかなるものか。六つの望む受なり。いかなるものを六というか。色声香味触法、これすなわち身の六つの望み受くるもの。これを行と名づく。かの行の因縁となる識は六身識なり。眼耳鼻舌身心、これを六身識と名づく。かの識の因縁となる名字、字は色を指し、名は四つの非色陰を指す。痛想行識、これを名とす。色は四大を本とす。地水火風これなり。上なるものは名とし、この四つは色とす。この二つが連なり共に名字を成す。
釈:何が無明かというと、世間に四聖諦の理が存在することを知らず、仏法の教理を如実に解せず、世出世間の真理を見ず、世間の解脱道に相応せず、仏法の正しい教理を受け入れず、出離を解せず、自他の根基利鈍を解さない故に無明という。無明の因縁より生じる行とは何か。六つの望み受くるもので、色声香味触法に対する領納と受容を望むことを指し、色身の六つの希望と趣向を名づけて意根の行という。
意根の行の因縁より六識が生じ、六身識すなわち眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識を指す。もし意根が六塵への希望や願望、趣向を持たなければ、六識は現れず六塵を了別することもない。六識の因縁より名字が生じ、字は色陰を指し、名は受想行識の四陰を指す。色身は地水火風の四大種子を根本とする。上の四陰は名とし、四大は色とす。名と色の二つが連なって名色五陰を成す。
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