(一)原文:かくのごとく我聞けり。一時、仏は舎衛国祇樹給孤独園に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げたまわく、四種の食ありて衆生を資益し、住世を摂受し長養せしむ。何等を四と為す。一に粗抟食、二に細触食、三に意思食、四に識食なり。
釈:世尊は諸比丘に説きたまう、四種の食が衆生の生命体を滋養し助益し、衆生をして摂受させ、長く世に住ましめる。第一は粗雑な飲食であり、咀嚼して内臓に取り込まれ身体に吸収され、色身を滋養して生命を維持する。第二は微細な触食であり、六根が六塵に触れること、及び六根・六識・六塵の三者和合による触れを食とし、五受陰を滋養し生命を維持する。第三は意識による法への粗雑な思惟を食とし、五蘊身を滋養し、主に意根による法への深細な思量を食とする。第四は識心の持身作用を食とし、五蘊身の運行を維持する。
八識全てに持身作用あり、第八識は絶対的持身(第一持身識)、第七識は相対的持身(第二持身識)、意識は第三持身識、五識は第四持身識なり。第八識と第七識の二識が共同で持身すれば、五蘊身は住世可能となるが、五蘊の機能は不完全となる。大多数の衆生は意識の持身作用と五識の持身作用を離れ難く、これらによって五蘊機能は円満に運行し、生命は相続・集起する。第八識に絶対的持身作用あれど、ここでいう識食は第八識の食を含まず、主に第六・第七識の食を指す。
衆生が必要とする四種の食は全て識食を離れず、識食を根本食として五陰身を摂受する。これに基づき触食と思食が必要となる。深甚な禅定なき者は粗抟食(地水火風)を色身の栄養源とし、禅定深き者は粗抟食を断じ、識食と思食を主として色身を滋養する。微細な触食を保つか、あるいは触食を断つことも可能なり。衆生が四食に依存するほど生死は流転し苦受は増大す。禅定深まるほど四食への依存は減じ、生命は自在となるが、第八識への依存は永遠に断ち難し。ただし第八識に執着しなければ足る。
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