衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年11月02日    月曜日     第1開示 合計2755開示

衆生の業はどのように消除されるのか

衆生は無量劫の修行の過程において、その業障を少しずつ消除し、業が尽きてはじめて仏道を成就することができます。その業の消除は、主に自らの修行によって無明を滅し、心を改めて消除するものですが、最初の頃の衆生は無明が重く、心力が弱いため、大部分の業障はやはり仏菩薩の加持によって消除され、背負われたものです。それぞれの衆生の業は、もし仏菩薩が背負い消除してくださらなければ、誰も証道して成仏することはできません。仏菩薩が衆生に代わって業を消除し、業を了し、業を背負う方法は非常に多くありますが、衆生はみなそれに気づかず知らず、時には仏菩薩を誹謗さえします。衆生が無知なうちは、仏菩薩の恩徳がどれほど大きいかをわきまえません。

衆生の因果とは、六道輪回の生老病死、憂悲苦悩 (śoka-parideva-duḥkha-daurmanasyopāyāsa) です。しかし、それぞれの衆生が仏法に出会うと、生死の業と苦受はますます軽くなり、ついには最後に三悪道の業を断除し、さらには六道輪回の業までも消除されました。それぞれの衆生が縁に恵まれて仏法に出会えたのは、すべて衆生自身の福德と功徳によるものだと思ってはなりません。すべて仏菩薩の恩徳によるものです。仏菩薩は日々咒願を発し、その願力を三悪道の衆生に普及させています。三悪道の衆生は、知らず識らず混混沌沌の中で恩沢を受け、福德は日ごとに増し、最後には仏法に出会い、無量劫の学仏修行を始め、業障は少しずつ消除され始め、ついには最後に成仏するまで、すべて仏菩薩の恩徳によるものです。成仏しなければ、誰も仏菩薩の恩徳に報いることはできません。

仏菩薩の加持と咒願は、すべて無形のものであり、衆生のために無数の業障を消除したのも無形のもので、見えず触れることもできず、衆生は無知なうちはそれを感じ取ることもできませんが、実際にはその力は計り知れなく大きいのです。衆生は恩を忘れて義に背くのではなく、そもそも恩義を知らないだけであり、しかも理由もなくさまざまに誹謗しますが、仏菩薩は決して意に介しません。誰が無知で愚痴な衆生と争うというのでしょうか?仏菩薩は、衆生のためにどれほど多くの業を背負い、どれほど多くの仏法を、そしてどれほど深い仏法を説いても、無知な衆生は仏菩薩が凡夫菩薩の名を一つ掛けられることすら許さないのです。罪障は深くないでしょうか?

——生如法師の開示
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