衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年10月29日    木曜日     第1 回の開示 合計2745回の開示

雑阿含経(二九二)その六

(六)原文:復次、比丘は苦を正しく尽くし、究竟の苦の辺際に至らんと観察し思量する時、名色を思量す。何を因とし、何を集とし、何より生じ、何に触れてか。その名色は識を因とし、識を集とし、識より生じ、識に触るることを知る。彼の識が滅尽して余すところ無ければ、即ち名色は滅す。彼の乗ずる識滅の道跡を如実に知り、彼の向かう次第の法を修習する。これを比丘が正しく苦を尽くし究竟の苦の辺際に至ると名づく。所謂るは識の滅尽なり。

釈:さらに、比丘が苦を正しく尽くし究竟の苦の辺際に至らんと観察思量するには、名色が何の因縁によって生じたかを、何の法が集起して生じたかを、何の法が生じて名色が生じたかを、何の法が触れて名色が生じたかを思量せねばならない。観察思量して後、名色の生起は六識の因縁によって生じ、六識の集起によって生じ、六識が生じたことにより後世の名色が引き起こされ、六識が触れたことにより後世の名色が生じることを知る。六識がもし余すところなく滅尽すれば、名色はそれに随って滅尽する。比丘らは六識を滅尽する道跡を修習するに当たり、如実に了知すべきである。即ち向道の法と次第の助道の法を修習することを指す。これを比丘が正しく苦を尽くし究竟の苦の辺際に至ると名づける。所謂るは六識滅尽の法なり。

——生如法師の開示
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