衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年10月16日    金曜日     第4 回の開示 合計2711回の開示

真の智慧をいかにして得るか

多くの法は実は学ぶ必要がありません。仏法を学ぶのは理論家や論争家になるためでも、雑学者や万事通になるためでもなく、真実を探究する中で類推が働き、法義が徐々に拡散し融合貫通していくものです。元来知らなかった法も、深く思索することで次々と貫通していきます。貫通した後の法は自らの所有物となり、学んだものではなく、今生も来世も忘れようとしても忘れられず、口を開けば自然に出てきて、考える必要がありません。智慧深き人々は皆、自ら法を証し、法を探究するのであって、他人の法を学ぶのではありません。学んだとしても自らのものとはならず、死後は忘れ去られ、来世でまた一から学び直さねばなりません。多くの人々が学識豊かな様子で、法義を提起されれば流暢に語り、弁舌さわやかな様子ですが、一つも法義を通達しておらず、一つも実証していません。知識が豊富でも真に法を理解したとは言えず、真の智慧を表すものではありません。意識が消滅すれば、何も残りません。

大乗小乗の法は、多聞の段階において、おおよその輪郭をはっきりさせ、脈絡を明確にすれば十分です。同じような法をどこまでも学び続ける必要はなく、どれだけ学んでも智慧は増えません。真の智慧は参究を通じて生まれるものです。一点を参究すれば一点の智慧が生じ、同時に類推が働いてより多くの法を証得し、少しずつ繋がり合って無数の法を理解するようになります。そしてそれは真の理解であり、智慧は絶えず成長し、来世へと持ち越すことができます。

——生如法師の開示
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