衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年10月15日    木曜日     第3開示 合計2706開示

消業の原理

ある人は言う:業障は壁にかかれた絵のようなもので、壁が消えてしまえば、その絵もまた存在しなくなる、と。

五陰の身は壁のようであり、業障とは五陰の身の上の障礙煩悩である。五陰の身心が空になり、意識・意根の心が空になれば、業行は自然に消滅する。業障は五陰の身心に向かってやってきて、五陰の身心に付着しているが、実は六識・七識の心に付着しているのである。六識・七識の心が空になれば、業障は空になるかどうか?業障には付着する体がなくなり、五陰の身心を見出すことができなければ、業障は消えて見えなくなり、空になる。業を作った主人がいなくなれば、誰が業報を受けるのか?受報する者がいなければ、報いは終わったことになる。

ただし、五陰の身心が空になる程度にもよる。心がどれだけ空になったかによって、業障もその分だけ消滅する。初果の空と二果の空には差別があり、二果の空と三果の空には差別があり、三果の空と四果の空にも差別がある。それゆえ、業障の消滅の度合いも異なるのである。しかし、業障があまりに重い場合には、心が空になったからといって債務から逃れることはできない。たとえば、ある人が百万を負っていて極楽世界へ往生したとすれば、債権者は誰にその百万を請求するのか?もし人が一億の負債を抱えていれば、債権者は四六時中その人を監視している。そのような人は極楽世界へ行けるだろうか?間違いなく遠くへは行けず、少し動こうものなら債権者に道を塞がれて、行かせてもらえない。債務が比較的軽くなってはじめて、債権者は四六時中監視するために労力を費やさなくなるのである。

——生如法師の開示
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