ある人が言いました:業障は壁の絵のようなもので、もし壁が消えれば絵もなくなります。
五陰身は壁のような存在であり、業障とは五陰身における障害煩悩です。もし五陰身心が空じられ、意識と意根の心が空じられれば、業行は自然に消滅します。業障は五陰身心を目指して来るもので、五陰身心に付着しています。実は六・七識の心に付着しているのです。六・七識の心が空じられたら、業障は空じられるでしょうか? 業障が付着する主体がなくなり、五陰身心を見つけられなければ消滅し、空じられます。業を造る主体がなくなれば、誰が業報を受けるのでしょうか? 受ける者がいなければ、報いは消滅します。
ただし五陰身心が空じられる程度を見る必要があります。心が空じられればその分だけ業障が消滅し、初果の空と二果の空には差異があり、二果の空と三果の空には差異があり、三果の空と四果の空には差異があります。従って業障の消滅も異なります。ただし業障が重すぎる場合、心を空じて債務を逃れることはできません。例えば百万円の借金を負った者が極楽浄土に往生した場合、債権者は誰に百万円を請求するのでしょうか? もし一億円の借金を負った者がいたら、債権者は常に彼を監視しています。彼は極楽浄土に行けるでしょうか? 遠くへは行けず、移動しようとすれば債権者に道を阻まれ、行かせてもらえません。債務が比較的軽微になって初めて、債権者は精力を費やして常に監視しなくなるのです。
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