法界の六根は増えず減らず、法界の六塵は増えず減らず、法界の六識は増えず減らず、色受想行識の五蘊も増えず減りません。現象界は幻の如く化したものであり、本体性がなく、元より増減するものではないからです。幻の生滅は究竟的に得られるものではないため、増えも減りもしません。一切の法は因縁和合によるもので、本来実体を持たず、生じたことも滅したこともないため、増えず減らないのです。このように法界を理解することは非常に智慧あることで、意識の智慧ではあっても十分優れており、観行実践を導く指針となります。
化身は衆生と言えるでしょうか。増減はあるのでしょうか。化身もまた衆生であり、現象には増減があっても、その本性に増減はなく、本体は増えず減りません。衆生が衆生たる所以は、八識全体を含む一連の道具を具えているからです。色身を含むこともありますが、主に意根と第八識を中心とし、第七識と第八識が増減しなければ化身も増減しません。法身は第八識であり、報身は第七識、化身は六識です。諸仏菩薩がどれほど多くの化身を現じても、全て法身と報身に依って存在し、法身と報身に帰属するものであり、単独で化身を持つことはできません。化身単独では衆生とは見做されず、自在でも自主性も持たないからです。
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