(二)原文:かくの如く生有なり。取・愛・受・触・六入処・名色は、自ら作るものか、他が作るものか、自他共に作るものか、あるいは非自非他無因に作るものか。答えていわく、尊者舎利弗よ、名色は自ら作るにあらず、他が作るにもあらず、自他共に作るにもあらず、また非自他作でもなく無因に作られるのでもない。しかるに、かの名色は識を縁として生ずるなり。
釈:舎利弗がさらに問う:同様に、生・有・取・愛・受・触・六入処・名色とは、現象が自然に存在するものか、あるいは他縁他因によって作り出されたものか。あるいは自然と他縁の和合によって作られたものか。あるいはまた自然と他縁の和合でもなく、無因無縁に現れたものでもないのか。拘絺羅が舎利弗に答えていう:生という現象は自然に存在するものではなく、他縁に依存して作られたものでもなく、自然と他縁の和合によって作られたものでもない。また自然と他縁の和合でもなく、無因無縁に存在するのでもない。しかるに三界の有を縁として、生という現象が現れるのである。
三界の有は自然に存在するものではなく、他縁によってあるのでもなく、自然と他縁の和合によってあるのでもない。また自然と他縁の和合でもなく、無因無縁に存在するのでもない。しかるに執取を縁として、三界の有が現れるのである。執取という現象は自然に存在するものではなく、他縁によって作られたものでもなく、自然と他縁の和合によって作られたものでもない。また自然と他縁の和合でもなく、無因無縁に存在するのでもない。しかるに貪愛を縁として、執取の現象が生じるのである。
貪愛は自然に存在するものではなく、他縁によって生じたものでもなく、自然と他縁の和合によって生み出されたものでもない。また自然と他縁の和合でもなく、無因無縁に現れたものでもない。しかるに受を縁として、貪愛が生じるのである。
受は自然に存在するものではなく、他縁によって生まれたものでもなく、自然と他縁の和合によって現れたものでもない。また自然と他縁の和合でもなく、無因無縁に現れたものでもない。しかるに触を縁として、受が生じるのである。
触は自然に存在するものではなく、他縁によって現れるものでもなく、自然と他縁の和合によって生じたものでもない。また自然と他縁の和合でもなく、無因無縁に現れたものでもない。しかるに六入処を縁として、触が生じるのである。
六入処は自然に存在するものではなく、他縁によって生まれたものでもなく、自然と他縁の和合によって作られたものでもない。また自然と他縁の和合でもなく、無因無縁に現れたものでもない。しかるに名色を縁として、六入処が現れるのである。
名色は自然に存在するものではなく、他縁によって生じたものでもなく、自然と他縁の和合によって生まれたものでもない。また自然と他縁の和合でもなく、無因無縁に生じたものでもない。しかるに六識を縁として、名色が生じるのである。
原文:さらに問う:かの識は自ら作るものか、他が作るものか、自他共に作るものか、あるいは非自非他無因に作るものか。答えていわく、尊者舎利弗よ、かの識は自ら作るにあらず、他が作るにもあらず、自他共に作るにもあらず、また非自他作でもなく無因に作られるのでもない。しかるに、かの識は名色を縁として生ずるなり。
釈:舎利弗がさらに問う:その六識は自然に存在するものか、他縁に依存して生じたものか、自然と他縁の和合によって作られたものか、あるいは自然でも他縁でもない無因無縁から生じたものか。拘絺羅が答えていう:六識は自然に存在するものではなく、単に他縁によってあるのでもなく、自然と他縁の和合によって生まれたものでもない。また自然と他縁の和合でもなく、無因無縁から生じたものでもない。しかるに名色を縁として、六識が生じるのである。
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