衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年09月06日    日曜日     第4開示 合計2598開示

我々は如来蔵(tathāgatagarbha)の中にいるのか、それとも如来蔵が我々の心の中にいるのか?

如来蔵 (tathāgatagarbha) がもし私たちの第六識・第七識の心の中にあるならば、第六識・第七識の心に「中」はあるのか?「中」の位置はどうやって定めるのか?私たちの第六識・第七識がもし如来蔵の心の中にあるならば、如来蔵に「中」はあるのか?「中」の位置はどうやって定めるのか?

一人ひとりの全体の五蘊・十八界は、すべて如来蔵が七大の種子によって造り出したものであり、七大の種子は如来蔵の中の法である。七大の種子が出力されて様々な法を形成すると言うが、実のところ七大の種子は一度も如来蔵の外に出たことはない。さもなければ、如来蔵の外に独立した法が存在することになり、如来蔵の執持に帰しないことになるが、それはあり得ない。七大の種子が如来蔵の外に出ることなく、衆生の五蘊・十八界の上に絶えず生滅変異しているのであれば、五蘊・十八界は如来蔵の外にあり得るだろうか?如来蔵の外に独立した法が存在するだろうか?

一真法界という意味は、衆生の世界の全体が一つの真実の法界である如来蔵であり、すべて如来蔵の中の法であって、如来蔵の外に独立した法はないということである。内と外と言ったとはいえ、如来蔵にはやはり内も外もなく、全体がすなわち真如であり、外を見出すことができないので、相対する内も存在しないのである。

——生如法師の開示
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