如来蔵が我々の六七識の心の中にあるならば、六七識の心に中があるのでしょうか。中の位置はどう計算すべきでしょうか。我々の六七識が如来蔵の心の中にあるならば、如来蔵に中はあるのでしょうか。中の位置はどう計算すべきでしょうか。
各人の全体である五蘊十八界は、全て如来蔵が七大種子を用いて造り出したものであり、七大種子は如来蔵中の法であります。七大種子が外に現れて様々な法を形成すると説かれますが、実際には七大種子は如来蔵の外に出たことはありません。もしそうでなければ、如来蔵の外に独立した法が存在することになり、如来蔵の執持に帰属しないことになりますが、これはあり得ないことです。七大種子が如来蔵の外に出ることなく衆生の五蘊十八界において絶えず生滅変化しているならば、五蘊十八界が如来蔵の外に存在し得るでしょうか。如来蔵の外に独立した法は存在するのでしょうか。
一真法界の意味は、衆生世界の全体が一つの真実の法界如来蔵であり、全て如来蔵中の法であって、如来蔵から独立した法は存在しないということです。内と外について説かれてはいますが、如来蔵には本来内も外もなく、全体が即ち真如であり、外を見出すことができないため、相対的な内も存在しないのです。
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