衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年09月03日    木曜日     第2 回の開示 合計2588回の開示

修行には定慧の等持が必要です

境地を求めず、また境地を消し去ることもなく、これが禅定を修める方法であり、禅定を行う際に用いられるものです。定力が具わった後、観行が必要となる時には、その境地の上で観行を行わなければなりません。修行とはまず禅定を修め、その後智慧を修め、仏法を観行することです。定と慧が等しく保たれてこそ、初めて仏法を証得することができます。定力なくして観行に臨めば、観じるものは全て成就しません。最良の場合でも理解に留まりますが、理解だけでは靴を隔てて痒きを掻くが如く、遠い水では喉の渇きを癒せないのです。なぜなら理解したものは自己の所得ではなく、意根が無明を破っていないため、理解には実質的な效用がありません。

——生如法師の開示
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