衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年09月01日    火曜日     第1 回の開示 合計2581回の開示

仮相において修行を重ね、一切の功徳を円満ならしむ

世俗における一切の法は如来蔵が幻化した仮相であるが、仮相には仮相の作用があり、その相を善用すれば即ち正真の菩提を得る。我々は「仮相は全て排除すべき」と一概に聞き流すことはできない。仮相を滅する能力が自らにあるか否かはさておき、仮相を全て滅したならば、菩提の真実相において如何にして道を行じ得ようか。菩薩の修行は仮相を巧みに用いて一切の功徳を円満し、邪染を美好に変え、邪悪を清浯に転ずべきである。世俗法が己の意に沿わず、生存環境が自らを厳しく障害すると感じる者の中には、一切の世俗法を離滅して清浯を得んと望む者がいる。しかしこれらの世俗法は己の業種と相応するものであり、業を転じ心を改めてこそ、自らを取り巻く一切が意のままに順うのである。

修行が一定程度に達すれば、世俗法は自らを障害せず影響も及ぼさず、内面は徐々にこれらの仮相の束縛から解脱する。我々は有効な修行によっても六塵の仮相を転じ、悪を善に、醜を美に、不可意を可意に変えることができる。心が転じれば内外の相分も同時に転じる。心地が転ずれば業種が変わり、相分もそれに従って転換するからである。

六塵の内外相分は完全に転換可能である。心力が充分ならば、石を指して金と為すも難事にあらず。禅定を得た大菩薩たちは千変万化し、大地を黄金や瑠璃に変え、八地の菩薩に至っては三千大千世界を化現して衆生を利楽する。修行によって心量が広大になり心力が強盛になれば、地水火風の四大種子の比例構造を転換できる。四大の比例が変われば物質の構造が転じ、構造が転ずれば物質の属性が変化する。されば白雪を白糖に変え、塵埃を金粉に化すことも、修行が時至れば一切の法の内外相分を転ずることは難事ではない。

——生如法師の開示
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