衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年08月27日    木曜日     第1 回の開示 合計2572回の開示

唯識無境の意味

唯識無境の意味は、一切の法はただ識のみであり、何らの境界と境界相も存在しないということです。これは唯識種智に属する内容であり、一真法界の意味と同じですが、理が非常に深く理解し難く、観察することも容易ではありません。道種智を持たない者にとっては、せいぜい粗浅な理解しか得られません。

唯識無境の識はもちろん妄心の第六・七識ではなく、第六・七識もまた境界相であり、生滅を繰り返して自主性を持たないため、他の境界相を主導することは不可能です。一切の境界相を主導できるのは第八識のみです。唯識種智の観点から言えば、一切の法は第八識によって幻化され保持されるものであり、全て第八識が七大種子を用いて生成したもので、絶えず七大種子を変化させながら一切の法を業種と相応させ、果報と相応させるのです。

「一切の法はただ識のみ」とはどういう意味でしょうか。一切の法を金器に喩えるなら、金器の本質は全て黄金であり、黄金以外のものは存在しません。金器を見れば黄金が見えるように、一切の法も同様に、全て第八識によって生成され保持されるもので、その本質は第八識です。一切の法を見る時は常に第八識を見るべきであり、それ以外のものは存在しません。

唯識無境の境は法相とも呼べ、法相の範囲は非常に広大です。色法相、心法相、非色非心法相があり、般若心経に説かれるところの眼耳鼻舌身意の六根、色声香味触法の六塵、眼識耳識鼻識舌識身識意識の六識、色受想行識の五蘊、四聖諦、十二因縁、菩薩六波羅蜜、四相、仏身、成仏の道、百法明門、千法明門、億法明門、無明、無明尽などがこれに当たります。これらの法相は全て如来蔵第八識の空相であり、実質的な法相境界相を持ちません。

一切の法上の法相と境界相は全て第八識が生成した相であるため、境界は存在せず、全て第八識なのです。この観行の智慧は非常に深遠で鋭利なもので、第六・七識が転識得智した後の定慧を具足して初めて現前観察が可能となります。そうでなければ無明の覆いが厚く、定力が浅薄なため観察の智慧が生じず、一切の法の実質を現量で観察することができず、境界相に堕して真金を見失います。定慧が不足し、定に初禅定がなく、慧に転識得智がなければ、全ての観察は想像と推理に堕してしまうのです。

定慧が深微である者ほど、一切の法を見る時に見る境界相は少なく浅くなり、現量観察の智慧は上地に至るほど深く究竟し、見るものは真実に近づき、仏地に至って完全に一真法界を見て余法無きに至ります。人が目に境界相を見る限り、それは無明であり、見る境界相が多ければ多いほど無明は深まります。逆に、見る境界相が少なければ少ないほど、智慧は深く鋭利になるのです。

——生如法師の開示
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