一切の法は、第八識が自ら独りで現じている境界であり、第八識はすべて自ら縁じ得、現前に縁じ得る。したがって、一切の法は第八識にとって現前に存在する法である。第八識は現量で了別し現量で知る。比較して知る必要はなく、ましてや想像して知る必要もない。第八識には幻想妄想念の心行も特質もない。この面から言えば、第八識は比類なき大智慧を具え、現量をもって一切の法を障礙なく知ることができる。如来仏の七識心も第八識と同様に、すべて現量で了別し、ただちに法を見る。比べ合わせたり思惟想像したりする必要がない。これは七識がすべて識を転じて智と成し、無明のない結果である。
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