我々は如何にして多くの信号を六塵の境界のように見做すのでしょうか。恰も連続する信号がテレビ画面に仮想化されるが如く、実際にはテレビを見ておりますが、テレビ画面とは無関係でございます。何故我々は心を仮想の画面に投入してしまうのでしょうか。如何にして心を引き抜き、画面から離れることができましょうか。傍観者となるならば、どれほど安らかで心地よいことでしょう。一切が私と無関係であるなら、どれほど解脱できることでしょうか。
一切の境界に対して、あなたは私の心上の一つの画面であり、幻の如く生じ、幻の如く滅び、幻の如く来たり、幻の如く去るのでございます。私はあなたの生ずるを見、滅するを見、来るを見、去るを見守り、あなたの来去に任せつつ、わが心は微動だにいたしません。修行とは本来このようなものであり、最終的にはこの境地に至るべきもので、これこそが真の解脱でございます。
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