衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
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仏道無上誓願成

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日常法話

2020年07月03日    金曜日     第1開示 合計2443開示

時間の虚妄不実性

<h2 style="text-indent: 2em;">時間は心不相応行法であり、虚妄で存在しない法です。時間はなぜ実法ではなく虚幻の法なのでしょうか?私たちの一生、半生の時間は、何に基づいて計算されたものなのでしょうか?</h2>

五蘊の身心が一年の時間をかけて運行することを、一歳と呼びます。一年は三百六十五日、一日の時間は太陽の運行に基づいて設定されたものであり、あるいは地球が太陽の周りを運行することに基づいて設定されたものです。一日のそれぞれの時刻は、太陽の光が地面に投射する角度に基づいて設定されたものであり、あるいは太陽の光の下での物体の影の長短に基づいて設定されたものです。そして地球は仮法であり、太陽および光は仮法であり、地面の物体は仮法であり、影は仮法です。これらの仮法が和合して、真の法である時間が得られるでしょうか?明らかに得られません。

このようにして示される時間は、それらの物質である色法よりもさらに仮のものであり、自分の心と相応しません。心がどうであれ、これらの仮法は規則正しく運行し、一日の時間は過ぎ去っていきます。一日また一日と時間が積み重なり、一年の時間となり、一年また一年と積み重なれば十年となり、さらに積み重なれば半生が過ぎ去り、さらに積み重なれば一生が過ぎ去り、生命が終わります。だから時間は光陰や時光とも呼ばれ、太陽と物体を主として示された虚偽の相であり、実は相がなく、いかなる相も存在しません。それなのに人々は皆、指を折って計算していますが、どう計算しても、時間という法は存在せず、すべて錯覚、誤計、虚妄分別、戯論なのです。

時間はまた、心識の運行変化の過程をも表しています。一つの心念、また一つの心念、一つの行為、また一つの行為が、下へ下へと運行し、前後相続することによって時間が示されるのです。心念は真でなく、行為は真でなく、相続の相は仮であるから、時間もまた真ではありません。時間を空へと還し、空間を空へと還し、物質である色法を空へと還せば、私たちの心はずっと楽になり、圧迫感がなく、緊張感がなく、悠然自得となります。さらに身心を空へと還せば、自我は解放されるのです。

——生如法師の開示
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距離の虚妄不実性

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