衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年11月09日    金曜日     第3 回の開示 合計993回の開示

如来蔵と意根の法、いずれがより重要でしょうか

問:如来蔵と末那識の法、いずれがより重要でしょうか。もし波旬が法を破壊しようとするなら、彼はどの法の弘通を最も阻みたいでしょうか。

答:如来蔵と末那識の法はどちらも重要です。あえて比較するなら、如来蔵の法がより重要です。如来蔵がなければ一切の法は存在せず、如来蔵を証得しなければ、いかなる法を修めても無益です。如来蔵を証得しなければ、その後様々な観行も生じず、妙観察智によって末那識の諸機能を観行することもできず、末那識の平等性智も生じないからです。

波旬が仏法を破壊し阻害しようとするなら、まず如来蔵の法を破壊し、次に末那識の法を阻むでしょう。波旬の福徳は極めて大きく、仏が世に住して法を弘められた時、彼は仏の傍らに随い、多くの法会に参加していました。ほとんどの場合、法破壊の目的で参加していましたが、稀に仏力と仏法の感化を受け、菩薩の懲戒を受けて、法会で仔細に説法を聴き、仏法を護持することもありました。彼は常に仏法が極めて優れ重要であり、衆生を清涼解脱へ導くことを知っていましたが、極めて強い眷属欲のため、自らが支配する眷属を増やし減らしたくないと考え、衆生が仏法を学び、心に清涼を得て解脱し、彼の支配から脱することを望まなかったのです。

そのため波旬は、世尊が重要な大乗経典を説かれると知ると、千方百計で妨害を企てます。仏は波旬の奸計を知りつつも、決して彼を暴露せず、護法菩薩に彼を懲らしめさせます。こうして波旬は仏の法会で多くの仏法、主に大乗法を聴聞し、彼が理解する大乗法も少なくありませんでした。後世この善根福徳によって、真の菩薩となり、将来成仏するのです。

しかし真の菩薩となる前、地獄で悪報を受ける前の彼には魔性が残り、強い眷属欲を持っています。彼は必ず自ら聴いた仏法を利用し、衆生に似非大乗法と如来蔵法を説きます。それは仏法に近いものです。彼は神通力を持つため、如来蔵の密意を知るのは容易です。如来蔵を説く際、衆生に密意を伝えることを厭わず、衆生が結果だけを知っても問題ないと考えます。結果を知るだけでは無益で、中間の修行過程が最も重要だからです。波旬がこのようにすれば、巧みに目的を達成します。第一に衆生を崇拝させ、引き込むことができ、第二に衆生が真に修行せず、真の解脱を得られなくするのです。衆生が容易に密意を知れば、修行に励む必要がなくなり、極めて重い慢心を生じ、悪業を造ります。こうして衆生は如何なる手段でも波旬の支配から逃れられず、波旬は目的を達成するのです。故に波旬は衆生が如来蔵法を学ぶことを恐れません。ただ不如法に学び、容易に如来蔵の密意を知れば、却って解脱しにくくなり、これらの衆生は依然として波旬の眷属として彼に支配されるからです。

かくして我々は知りました。波旬が最も恐れるのは実修実証であり、仏法の実修実証は全て禅定と末那識に関わります。禅定を具足すれば、末那識を薫修でき、仏法を証得しやすくなり、解脱に近づきます。波旬はこれに全く手出しができず、禅定と末那識の実証の法を不当に妨害し、表面では擁護しつつ陰で破壊するでしょう。衆生は彼の策略を見抜けず、彼を護法者で修行者、真の菩薩と思い込むのです。波旬は極めて狡猾で、表面では仏法を強く支持し、自ら説法弘通しますが、決して衆生が真に仏法を証得させません。彼が密かに行うこれらの工作は、衆生の智慧では絶対に発見できず、善根福徳の厚い衆生のみが諸仏菩薩の加護を受け、その惑わしに陥らず実証できるのです。故に善根福徳は極めて重要なのです。

——生如法師の開示
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