衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2020年03月05日    木曜日     第3開示 合計2187開示

人間が鶏やアヒルを遣わしてバッタを駆除するのは殺生になるのか?

他人を唆して殺業を造作させることは、自分自身で殺業を造作するよりも罪業がさらに重いのです。なぜそう言えるのでしょうか。自分で殺生をする場合は、自分一人で悪業を造作し、衆生と悪縁を結ぶだけです。しかし他人を唆して自分の代わりに殺生させると、他人が造作した殺業には同じく自分の一份があり、自分の殺心は依然として残っており、しかも他人に悪縁を結ばせ、悪業を造作させ、他人を汚染させることになるので、これは二重の悪業なのです。

鶏や鴨に人間の代わりにバッタを殺させると、バッタは人間のために死んだのであり、人間が殺したことに属し、鶏や鴨は単に人間がバッタを殺すための道具にすぎません。同時に鶏や鴨もバッタと悪縁を結び、来世にはさらに悪報を受けなければなりませんが、これは人間が引き起こしたものです。したがって、鶏や鴨を遣わしてバッタを駆除することは、自分自身でバッタを駆除するよりも、悪業が大きいのです。

しかし、このような大規模なバッタの災害に遭遇した場合、バッタを駆除すべきではないのでしょうか。もしバッタが人類の生存を脅かすのであれば、もちろん駆除する必要があります。なぜなら、人間の命はバッタより何倍も貴重であり、両者を比較すれば、まず人類の生存を保障すべきだからです。人は道器であり、極めて多くの善業を造作することができ、三悪道の衆生すべてに利益をもたらします。人が生きてさえいれば、他のことはすべて解決できます。ただ後世にいくらかの悪報があるだけですが、今バッタに命を奪われたり、災害に苦しめられたりするよりは、はるかにましです。

それぞれの衆生は、無始劫以来あまりにも多くの殺業を造作してきており、大小数え切れないほどです。それゆえ、それぞれの衆生は業障が深重で、悪縁も多く、どんなに良い人であっても、あなたを殺そうとする者がいれば、殴ったり罵ったりする者もいれば、侮辱したり陥れたりする者もいれば、毀謗する者もいれば、あなたを認めない者もおり、あなたを悪く言う敵対者が多くいるのです。

逆縁や災害に遭遇し、やむを得ず殺業を造作しなければならないということは、それ自体が無福の表れであり、それが業障であり、悪業の果報なのです。もし業障がなければ、殺業を造作しなければ自分の生存問題を解決できないという事態には遭遇しません。諸仏菩薩は悪業を滅尽しているので、このような逆縁に感召されることはなく、やむを得ず殺業を造作することはありません。たとえ悪縁に遭遇しても、危機を転じて安泰とし、災難を吉祥に変え、また自らの無量の功徳をもって敵対者を補い、救済することもできるのです。

——生如法師の開示
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諸仏菩薩は災難に遭ったらどうするのでしょうか?

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