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日常法話

2020年03月05日    木曜日     第2開示 合計2186開示

三宝物を盗む罪

寺院では、物が寺院にとって役に立つかどうかにかかわらず、在家居士が勝手に使用してはならず、ましてや勝手に持ち去ってはならない。なぜなら寺院のすべての所有物は十方僧物に属し、娑婆世界以外の他方世界の僧侶を含め、十方世界の僧侶が享受する権利を持っているからである。個人が勝手に使用すれば、盗むのは十方世界の出家人の物品であり、根本的に返済しきれず、この罪は地獄業であり、さらには無間地獄業でもある。

十方供養とは、十の方向の衆生からの供養のことであり、すなわち東・南・西・北・上・下・東南・西南・東北・西北である。十方僧物とは、十の方向の世界の出家人の物品である。世界には大きいものと小さいものがあり、大きい世界とは娑婆世界を囲む十の方向の仏国土を指し、小さい世界とは娑婆世界の中の十の方向の世界を指す。たとえば娑婆世界の三千大千世界の一つの小世界には、四大洲・四大海・七金山・四天王天・忉利天・兜率天・夜魔天・化楽天と他化自在天、および初禅天が含まれる。一千の小世界が一つの中千世界であり、一千の中千世界が一つの大千世界である。

この罪業を犯した者は、仏の前で殷重に懺悔し、好相が見えるまで続けなければ、三宝物を盗んだこの罪業は消えることができない。たとえば、仏が来て頂を撫でて慰め、罪業が消えたと告げる、あるいは蓮華の開敷を見る、あるいは空中の香りを聞く、仏菩薩が来て加持するなどである。さもなければこの罪業はなお残っており、命終すれば地獄に堕ちて果報を受けなければならない。

故意であれ無意識であれ、寺院の物品を浪費することは、十方僧物を浪費し消耗したことであり、この罪も小さくなく、十方の僧への負債も容易には返済しきれない。それゆえ、誰もが寺院では節倹し、浪費してはならず、物を壊したら必ず直ちに賠償しなければならない。期限を過ぎれば倍額あるいは数倍の賠償となる。戒経には、人が戒を犯して懺悔しなければ、一夜過ぎるごとに罪業が倍になり、二夜過ぎればさらに倍になり、すなわち四倍になると説かれている。三宝への負債も同様で、夜を過ぎれば倍になる。かつて寺院のいかなる物品でも勝手に持ち出したことがある者、あるいは物品を壊した者、あるいは物品を浪費した者(水道・電気・ガスなどを含む)は、みな自ら方法を考えて埋め合わせし賠償しなければならない。盗盗に属する性質のものは、賠償するだけでなく、必ず毎日努力して殷重に懺悔し、好相が見えることを目指さなければならない。悪業を消し、悪報を受けない、あるいは少なく受けたいなら、第一に懺悔、第二に埋め合わせ、すなわち金銭や財産による補償である。

誰であれ、家庭にいても、職場にいても、寺院にいても、またすべての公共の場所においても、それぞれの物品の所有者が誰であるかをはっきり把握し、物の所有者の権利を侵してはならない。物を使うにはまず主に尋ねること。自分の家族の権利、自分の父母・子ども・配偶者の所有権も、侵したり冒涜したりしてはならない。これこそ人としての教養と品徳であり、清浄 (viśuddha/pariśuddha) に生きる者には、必ず清浄 (viśuddha/pariśuddha) な果報がある。

もし寺院が故意にどこかに置いた仏経などの結縁品であれば、それらはみな無料で皆に結縁するものであり、自主的に取って使うことができ、寺院の管理者に告げる必要はない。あるものには特定の管理者がいて、使用したいなら特定の者の同意を経なければならない。特定の管理者でなければ、たとえ同意があっても駄目であり、取って使えばそれは盗に属する。その人にその権力と職責があるかどうかを見なければならず、誰でも適当に見つけて許可をもらえばよいというものではない。

居士の中には、寺院に来ると寺院の師父の代わりに仕切って主導権を握りたがる者がいる。師父が望むか許可するかどうかも構わず、自らすべての権力を奪い、何でも勝手に決定し、まるで自分の家にいるかのように、物事を管理するだけでなく、金まで管理し、さらには人まで管理しようとする。この罪業は相当に大きく、懺悔して清浄 (viśuddha/pariśuddha) にできるかどうかさえ分からない。

さらに、寺院に来て出家人まで管理しようとする者さえいる。出家人が何をするかしないかをすべて自分の指図に従わせ、出家人に自分の計画した事をさせるよう指示し、自分の貪欲と願いを満足させようとする。下剋上であり、三宝と三宝の尊厳を侮蔑するものである。出家人はいかなる在家人にも管理され指図されるものではなく、出家人本人の師父のみが管理・教育する権力を持ち、また所属する寺院の住持と出家の管事者のみが管理する権限を持つ。出家衆は最も主に十方の諸仏菩薩の教育と管理を受けるのであり、土地神などの護法神でさえ資格も権力もない。なぜなら出家人は直接には仏陀の弟子であって、護法神の弟子ではないからであり、出家人は仏菩薩を礼拝することはできるが、護法神を礼拝してはならない。それゆえ、在家人の権力欲があまりに大きいなら、できるだけ自分を克制すべきであり、どうしても克制できないなら、寺院から遠ざかり、出家衆から遠ざかり、地獄業を造って地獄の苦を受けるのを免れるべきである。

また、出家服を着たがる在家人や、出家人の名前を使いたがる者もいる。出家人に成りすまして恭敬を得、さまざまな供養を得るのを好む者もおり、これは盗の中の大盗である。さらに、どうしても我々も三宝であり三宝の待遇を受けるべきだと主張する在家居士もおり、三宝の名誉・名声を侵犯し、影響は相当に悪質であり、これは大貪大盗であって、懺悔が通じず、懺悔してもあまり役には立たず、なお地獄に出頭しなければならない。

——生如法師の開示
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一切天地万物、之を取るは皆盗なり

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