原文:賢護。識はこの身を棄て、他生を受ける者。衆生が死亡時、識は業障に纏れ、報尽命終。滅尽定のように。阿羅漢の識は、阿羅漢が滅尽定に入る如く。その阿羅漢の識は身から滅転。如是、死者の識は身及び界を棄て、念力に乗って作。そのように知る。我某乙の生平所作事業は、临终咸現、憶念明了。身と心、二受逼切。
释:仏は説きます、賢護、阿頼耶識はこの世の色身を棄舍した後、次の世の色身へ移り、他の色身(他生は另一生)を受ける。衆生が死亡時、阿頼耶識は七識所造の業業障に纏れ、この期の果報尽、臨命終時、滅尽定に入る阿羅漢の阿頼耶識と同じ。阿羅漢が滅尽定に入る時、滅尽定から無余涅槃に入る際、彼の阿頼耶識は色身から消失、寂滅境界へ入る。衆生死亡時も如是、阿頼耶識は衆生の色身と十八界を棄舍。阿頼耶識の舍身は意根の念力に随って為、意根の思心所の功能作用に配合。這時亡者は己のこの生結束を知、この生所作事業は临终前一刹那、全て脑海に現、一一憶念出来、法塵清晰明了、同時身心全部痛苦逼切を受ける。
死者が一生造の業行、業種留存、临终時阿頼耶識は業種に随って、下一世へ流转。彼が畜生業を造れば、畜生業に纏缚され、阿頼耶識は畜生色身を受ける;彼が餓鬼業を造れば、餓鬼業に纏缚され、阿頼耶識は餓鬼色身へ移る。彼のこの生所受果報结束。命終時、滅尽定の四果阿羅漢の阿頼耶識如く、色身を棄舍して離れる。
阿羅漢は四禅八定を修完し、滅尽定に入る時、前六識皆滅、七識と阿頼耶識残る。七識の五遍行心所法は受心所と想心所滅、七識意根は受心所と想心所無、知功能無。作意、触、思三心所残り、阿頼耶識現起の根身器界に作意可能。色身の状况祂は作意、触可能、その後思心所生起、決定作可能、例えば決定心生起、祂六識現起出定或色身滅入涅槃、これら意根の思心所決定。衆生死亡時阿頼耶識離身、滅尽定の阿羅漢の七識と阿頼耶識離身入無余涅槃と同じ。
0
+1