衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年01月13日    月曜日     第1 回の開示 合計2111回の開示

一念不生は意根より成就す

ある人は、記憶は完全に意識の機能作用であり、意根は関係ないと言います。意識は確かに記憶できますが、意識は因果所生法であり、因と縁があれば意識が生じ、因縁不具足なら意識は生じません。何の因縁が意識を生じさせ記憶するのですか?意識は何故に記憶できるのですか?もちろん、意根が過去の事を思い出し、独影境が現れ、根塵が接触し、意根が何かを為したい時、第八識は意根の心行に随順し、意識が生じ去り記憶する。そうでなければ、意識は生じません。故に、意識が能否記憶するは、意根が過去の事を縁するか否か、何かを明白しようとするか否かに依ります。もし意根が過去の事を念しない、何の心行も無ければ、意識は生じず、更に記憶去らず、思惟去らず、各種情緒も現れません。

もし意根が何の心行も無く、何法も造作しないなら、意識は一念不生の状態に居できます。意根が心行有り、何法を造作したいなら、意識は必然に意根の心思に随順し造作し、一念不生の状態に居不可能。故に、意識の一念不生の定は完全に意根に決定され、意根に操控され。意根が他法を攀縁すれば、意識は定下来無辦法。

意識が一念不生の時、意根も同樣に一念不生できます、或生念しても意識に影響不至、何かを造作したい想法無ければ、意識も仍然一念不生できます。

——生如法師の開示
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