意識が覚知していない時、意根は覚知しているのでしょうか。意根が覚知している時、我々はそれを知っているでしょうか。意識がない時、誰が意根を観察するのでしょうか。仮に意識がある時でも、ほとんどの衆生は意根を観察できず、そうすると意根の機能作用は埋没され誤解されてしまいます。意根が自らを内観する時、意識も観察できず、意根も表現できないため、我々は意根の機能作用を明瞭かつ理に適い真実のままに理解することができず、意根はやむなく幕後の隠者、主導者、指揮者、決裁者とならざるを得ません。
意根はいつ幕後の隠者・主導者・指揮者・決裁者ではなくなり、表舞台に現れるのでしょうか。表舞台と幕後の区別は何に基づくのでしょう。それは意識の智慧の程度に基づきます。
意根が表舞台に現れる条件は、意識が非常に強大な智慧と観察力を備えていることです。意識が強大な智慧と観察力を備えるには、明心後に初禅以上の禅定力を具足し、この時その果位は初地前後に至り、一般的には初地以後、煩悩を断除し、意識と意根が共に識が智に転じた状態でなければなりません。この時、意根が表舞台に現れるのではなく、意識がついに智慧を具足し、意根を観察できるようになるのです。こうして意根の機能作用は二度と埋没されることがなくなります。
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